第75回『本読み会・デュレンマット』レポート
今回は、”あんまり知らない国のあんまり知らない作家”を取り上げました。問題を世に問う「メディア」として、『物理学者たち』を書きあげたフリードリッヒ・デュレンマット。これはあまりにも「タイムリーな」戯曲だったのです。
今回は、”あんまり知らない国のあんまり知らない作家”を取り上げました。問題を世に問う「メディア」として、『物理学者たち』を書きあげたフリードリッヒ・デュレンマット。これはあまりにも「タイムリーな」戯曲だったのです。
菊池寛はスケールのでかい男。観客が何を求めているかを肌で知り、緻密に組み立てた構成の中で劇のクライマックスへと観客を引き連れていく。このあたりが、彼が一級のエンターテイナーだった所以なのかもしれません。
昨年11月の南町田に続き、今回は戸塚まで出張し、シェイクスピアを読んできました。出張!『本読み会』企画です。
この戯曲が見事なのは、劇中があまりにも濃密なため、劇の外側、つまりこのドラマの過去と未来とが浮かび上がってくる点でしょう。まさに、キング・オブ・戯曲です。
ドタバタコメディの装いをまといながら、観るとは何か、リアルとは何か、そして演劇とは何かという普遍的な問いを投げかける。その手の込みようはもはやグロテスクと言っても差し支えありません。
挫折の中でも、やはりウェスカー。理想への想いは消えていないようです。第71回『本読み会・ウェスカー』のレポートです。
『マリアの首』が田中の最高傑作との誉高いのは、劇作家、演出家、そして長崎の街を背負った一個人としての田中が見事に融合した戯曲だからなのではないでしょうか。
筋金入りの悪党でありながら、しかし、リチャードほど観客に愛される役はそうそうありません。悪魔が魅力的であるように、悪役もまた禁断の果実をちらつかせて私たちを誘惑するのです。というわけで、2018年の『本読み会』は、毎度おなじみシェイクスピアで幕を開けました!
さて、プラハ・ロンドン観劇旅行記の後編です。『ピノキオ』や、イヴォ・ヴァン・ホーヴェ新作『ネットワーク』など、ナショナルシアターから傑作がポンポン飛び出しました!すごかった。。