『本読み会』って?

「戯曲を読むこと」は、「夢を見ること」に似ています。

ページをめくり、台詞をひとたび声に出せば、そこには物語があふれ出し、あなたの声は、人々の喜びや悲しみ、成功と挫折、愛や憧れ、怒り、希望の響きに彩られていきます。

まさに夢を見るような、そんな体験を気軽に楽しめる場所。それが、戯曲の読書会『本読み会』です。

やっていることは、集まって台詞を読む。ただそれだけ。
でも、それが楽しく、難しくもあるのです。

以下では、そもそも「戯曲」とは何なのか、「本読み」とは何なのかということについて、少しだけ説明してみました。もし読み進めていくうちに『本読み会』に興味を持たれましたら、ぜひ一度『本読み会』を覗きにきてみてください。きっと新しいものが見つかるはずです。

戯曲に込められた『物語』と『声』を、一緒に楽しみましょう!

 

■「戯曲」って?

「戯曲」とは、小説や随筆、詩などと並ぶ、文学の1ジャンル。登場人物の「セリフ」と「ト書き」で構成されている読み物で、一般的には「台本」や「脚本」と呼ばれています。

そう、「セリフ」と「ト書き」で構成されていることこそ、戯曲という文学の最大の特徴だと言えるでしょう。
戯曲では、ある状況や場面を描くのに、主に登場人物の発した言葉と仕草だけを用いますが、それは逆に言えば、物語を理解するのに、発せられた言葉と仕草しかヒントがないということでもあるのです。

例えば、「寒くありませんか?」というセリフがあったとします。
それは、その言葉を話す人物が神経質であるという事を表現しているのかもしれないし、あるいは、その人物が相手の人物を愛しているという事を表しているのかもしれません。

そうなんです。戯曲を読むとき、活字だけを追っていても、実は本当に大事なことはほとんど分かりません。これが戯曲の難しさだと言えるでしょう。
しかし、ひとたび戯曲の言葉が口にされ、それが実際に他者とやりとりされると、不思議なことに、言葉にならないイメージが次から次へと浮かび上がって、物語が目の前で動き始めます。

戯曲の言葉は人が喋ることで、初めてその魅力を表すように書かれているのです。
そういった意味で、戯曲は「未完成の文学」とも言えるでしょう。

 

■ 「本読み」って?

演劇の稽古において、台本を手にしたまま役者が分担して戯曲を読むことを「本読み」あるいは「本読み稽古」と呼んでいます。
「本読み」のあとには「立ち稽古」と言って、実際に動きながら劇を作っていく段階になるのですが、この「本読み」の段階で、お互いの理解や解釈、そして感性のようなものをすり合わせていきます。

本を読みながら声に出すわけですから「朗読」と似ているかもしれませんが、あくまでその先にある「上演」を視野に入れて読むという点、そして、実際に登場人物の行動を考えながら読む点が大きく異なります。
「本読み」は演劇の立ち上がる最初の瞬間と言えるかもしれません。

(余談ですが、もともと演劇でいう「本読み」とは、作者が自分で書いた戯曲を役者たちに向かって読み聞かせることを意味する言葉でした。今でも、伝統ある劇団や古典芸能の世界ではそのように「本読み」を進めていますが、少数派になってしまったと言えます。)

 

■ あらためて、『本読み会』って?

『本読み会』は、集まって戯曲を声に出して読む、とてもシンプルな活動を続けてきました。
取り上げる作家はさまざま。そして、参加者はもっとさまざま。
俳優、劇作家、演出家、それらを志す学生諸君、高校生。それから、戯曲に初めて触れる人、久しぶりに台詞を読む人、帰国子女、主婦、電気屋、建築屋、宝石商、保険会社をクビになった人、ニートの人、ママになった人、田舎に帰ろうか迷っている人、ごはんをたくさん食べる人、などなど・・・

何度も読んでいるはずの戯曲なのに、『本読み会』に参加してみると作品がそれまでとまったく違う顔をのぞかせることもしばしば。それは、戯曲を読む人の個性が表れるからなんです。
活字で書かれている作品が、声に乗って本から「立ち上がって」くる、そんな瞬間に居合わせることができる。それが『本読み会』の醍醐味ではないでしょうか。

戯曲は、劇作家の声、登場人物の声、そして読み手であるみなさんの声が響き合う広場です。
『本読み会』は、戯曲の声=言葉を味わうために本読みを続けています。

ぜひ一度、『本読み会』に遊びにきてみてください。
みなさんのご参加をお待ちしております。

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