2021年も閉幕近し。緞帳がするりするりと降り、まさに舞台と接吻しようとするその刹那、無理矢理手をこじ入れて「まだだ!」と叫ぶ声。ご存知、戯曲の読書会『本読み会』の参上でございます。今年はコロナに加えて公私ともにいろいろあった主宰二人ですが、年の最後はやっぱり本読みで、しかも対面での開催に高ぶっておりました。ヒタヒタと忍び寄るオミクロン株とやらに追いつかれないよう、今のうちに読んじゃおうということで、約2年ぶりにみんなで机をロの字に並べるところからスタートです。私は遅刻したのでやっていないのですが、いつもよりディスタンスを取って座りました。
ふと思い起こせば、我々は一昨年くらいからあるイベントに手を染めていたのです。2020年開催の東京オリンピックに合わせて、「オリンピックイヤーだよ!ギリシャ劇集合」という企画を立てて、アイスキュロス、サルトル 、オニールなど、ギリシャ劇とそれをモチーフにした作品群を読み進めている途上でした。ところが、オリンピックは延期になるわ、コロナは収まらないわで、われわれもこの企画のことをすっかり忘れておりました。ギリシャ劇なら、なにも悲劇に限るまい。年末ですし、あまり重たい戯曲ではなく、みんなでパーっと明るく読めるものはないものか…ということで、ギリシャ喜劇。アリストパネスの『女の平和』に白羽の矢が立ちました。
『女の平和』の筋立てはいたって単純です。戦争ばかりの男どもに愛想を尽かした女たちが、もう我慢ならんと決起したのがセックスストライキ。あたしとセックスしたきゃ戦争やめろ、というわけで、女たちは神殿に立て籠ってしまいます。ところが、男だけでなく、女の方も我慢できなくなってしまう。セックスをですよ。次々と神殿から抜け出ようとする女をなんとか諫めているところへ、隣国からの使者がやってくる。どうやら隣国でも同じようなことが起きているらしく、ここは和平条約を結びましょうということで平和が訪れます。ついつい女性の権利や心理的抑圧といった現代的視点で読み解きそうになりますが、ここはぐっとシンプルに、バカバカしい企てに右往左往する人間たち、と捉えた方が良さそうです。
というのも、当時の古代ギリシャでは『女の平和』が単独で上演されたわけではないのです。コンテスト形式の大演劇祭で悲劇を立て続けに3本見たあと、最後に喜劇が上演されました。きっと今よりうんと感受性豊かな人々ですから、1日に悲劇を3本も見れば、心も体も涙にぬれるほどぐしょぐしょになるはず。それに時間だって相当かかります。ということは、途中で飲んだり食べたりする。芝居を見ながら飲むのに、ノンアルコールということはないでしょう。酔ってるのに、湿っぽいままぼんやりと帰るのはしまらない。最後はバカバカしい喜劇でカラッと笑って家路につきたいところです。ギリシャ喜劇を楽しむには、その前に重い重い悲劇でボディーブローを喰らっておく必要があるのです。
しかし、本当に久しぶりの対面開催ですから、そもそも戯曲ってどうやって読むのか思い出すのにリハビリが必要でした。それでも、ひとたび感覚を思い出せば戯曲の流れに乗るのは早い。オンラインのプライベートな空間でなく、みんなが会場にわざわざ集まって戯曲を読むというのは、やっぱり熱がこもるものですね。対面で読んでいると、戯曲を読むことは、字を読むことではないんだなとつくづく感じます。声を耳で聞き、読み手の様子を目でうかがい、空間に漂う戯曲の世界を身体で感じ取っているのです。コロナの前はそれがあたりまえのようにあったからこそ、オンラインで失われた時に初めて気づいたのかもしれません。
例年ですと、12月の『本読み会』のあとは忘本会(本を忘れて飲もうとするが、結局本の話をする飲み会)になだれ込むところなのですが、さすがに今年は本を読んだらおしまいです。恒例の『本読み会』新聞・リーダーズのみお配りして、おひらきとなりました。古代ギリシャの人々も、こんなふうに後ろ髪を引かれながら劇場をあとにしたのかもしれません。
今年も『本読み会』をご愛好いただきありがとうございました。みなさまよいお年を。
(松山)
・『本読み会』新聞リーダーズ2020/2021
・特別企画「オリンピックイヤーだよ!ギリシャ劇集合」特集ページ
・「古代ギリシャ劇について」