特別企画『オリンピックイヤーだよ!ギリシャ劇集合』をより楽しめるように、このページでは古代ギリシャの演劇文化を簡単に紹介してみました。
今から2500年前、果たしてどのような演劇文化があったのか。
ぜひ想いを馳せてみてください。
野外劇
今から2500年くらい前の話。
春になると気候のいいギリシャでは、みな外に出て演劇を楽しみました。もちろん、まだ電気照明などない時代ですから、演劇は外でやるしかなかったのです。
いや、そもそも演劇ができたばかりの時代です。今と違って観客は「外でなんかおもしろいことやるらしい」という気分で出かけたのかもしれません。
それでも、ともかく、古代ギリシャ劇は野外で行われた。このことが観客にも劇の中身にも大きな役割を果たしていたのは間違いないでしょう。
この一大イベントは「大ディオニュソス祭」と呼ばれました。
都市の祝祭、大ディオニュソス祭
「大ディオニソス祭」は、数日間に渡って開催され、近隣の都市からも市民らが訪れる大きな祝祭でした。
その名に冠する「デュオニュソス」とは、演劇の神様、そしてお酒の神様です。
「大ディオニソス祭」は、初日の早朝、市民らがデュオニュソスの像を担ぎ、お神輿のようにあちこち引っ張り回すところから始まりました。
向かう先は野外劇場。大騒ぎしながらの道中は、本当にお神輿のようだったのではないでしょうか。
そしてディオニソス像を劇場に安置すると、そこからが本番。朝から晩まで劇を上演したのです。
神に捧げる儀式、俳優の誕生
演劇といっても、当時の演劇は今のものとは違い、もともとは集団で神に祈りを捧げる儀式でした。合唱隊、つまりコロス(コーラス)が歌と踊りを披露する、円舞のような形だったようです。
しかし紀元前6世紀ごろ、そこに革命が起こりました。
あるとき「テスピス」という名の男が合唱隊の集団から抜けて一歩前に飛び出し、登場人物の言葉を話し始めたんだとか。
なんて目立ちたがりな男だろうかと感心しますが、これは世界に初めて「俳優」と「台詞」が誕生した歴史的瞬間でもありました。
ちなみにこの「テスピス」という名は、のちに「俳優」を意味する言葉になったそうです。ちょっとかっこいい話ですね。
二人目の俳優、三人目の俳優
さて、俳優という存在が生まれたことで、「儀式」は「演劇」として生まれ変わりました。新しいエンタテイメントの出現に、市民たちはさぞや興奮したことでしょう。
この“合唱隊と一人の俳優”という演劇の形式は、しばらくの間続いたようですが、そこに「でも、もうひとりいれば対話ができるようになるんじゃないの?」と俳優の数を2人にして劇を作った天才が現れました。
これが劇作家の始祖アイスキュロス。
「戯曲」とはつまり、対話の始まりだったのです。
さて、革命はさらに続きます。「いや、3人いるともっと盛り上がるんじゃないの?」と俳優の数を増やしたのがソフォクレス。かの有名な『オイディプス王』を書いた作家ですね。
それからというもの、ギリシャ劇は仮面を被った3名の主要俳優とコロスで構成される劇形式へと整理されました。
一人から二人、そして三人へ。単純なようでいて、演劇史上決定的に重要な発明だったと言えるでしょう。
古代ギリシャの劇場構造
さて、話を「大ディオニソス祭」に戻します。
当時、演劇が上演されたのは、丘の斜面を利用して作られたアリーナ型の円形劇場でした。
劇が始まると、コロスは「パロドス」という通路からぞろぞろと登場して、「オルケストラ」という名の円形舞台に陣取ります。メインどころの俳優は「プロスケニオン」に陣取ります。
ちなみに観客席は「テアトロン」、つまり“シアター”の語源です。「演劇」の語は俳優ではなく観客に由来するところが興味深いですね。
コンクール形式の演劇フェス
大ディオニソス祭は、毎日1人の劇作家が三部作の悲劇と1本のサテュロス劇(悲喜劇)を上演し、次の日にはまた別の劇作家の作品を上演するというサイクルで進行されました。
そしてこの一日4本の劇を上演するサイクルを祭りの期間中続け、祭りの最終日には、その年どの劇作家が一番良かったかをコンクール形式の投票で決めていたんだとか。とても面白い趣向です。
ちなみに驚くべきことに、ソフォクレスの書いたあの傑作『オイディプス王』は、その年の大ディオニソス祭のコンクールで第二位だったとの記録が残っています。
では、その年の一位の作品は何だったのか?
残念ながら、その作品は現存しておらず、記録も残っていません。
当時の書物は、その多くがパピルスに記されていました。戯曲ももちろん例外ではありません。
そのため、保存状態が良く、奇跡的に風化を免れた本当にわずかな数の作品しか現存していないのです。
ちなみにアイスキュロスは、『アガメムノン』『コエーポロイ』『エウニメデス』のいわゆる「オレステイア三部作」をもってデュオニュソス祭に臨み、見事その年のコンクールで一位を勝ち得ていますが、いま悲劇三本が揃って現存しているのは、その「オレステイア三部作」のみです。
現存していない作品の中にも、多くの傑作があったことは間違いありません。なんせ2500年も前の話ですから仕方ありませんが、なんとも惜しまれます。
タイムマシンがあったら、ぜひ覗いてみたい時代だと思います。
黄金の時代
大ディオニソス祭の劇場には、多いときでなんと2万人の観客が詰めかけました。2万人というと、プロ野球の不人気球団同士の試合よりも多い動員数、会場の規模はだいたい横浜アリーナよりもう少し大きいくらい。
それに一日中やっているわけですから、観客も飲み食いしながら観ていたのでしょう。これはもう「ライブ」とか「フェス」みたいな感覚だったのかもしれません。
真夏にサマーソニックへ出かけるように、大集団で名台詞にわーっと聞き入り、がやがやリアクションしながら演劇を楽しむ。
市民らは隣り合った人たちと交流を深め、時にはいかがわしい出来事も起きたことでしょう。
まさに、祝祭と酩酊の神であるディオニソスの名に相応しい催しだと言えます。
おそらく古代ギリシャでは、演劇は単なるエンタテイメントの一ジャンルではなく、もっとずっと大きな、社会の一部を構成するような、“文化”そのものだったのではないでしょうか。
そして多くの市民に愛され、その視線に晒されていく中で、今に残る偉大な作家や、数々の傑作が生まれていったのでしょう。
今から2500年前も昔に、これだけ豊かな文化が花開いていたという事実には、ただただ驚くばかりです。
現代に生きる我々は、憧れや嫉妬、そして感謝を感じつつ、古代ギリシャの残してくれた宝石のような作品の数々を味わっていくべきなのかもしれません。
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