前回はイベントレポート①(主宰二人レポート編)をお届けいたしましたが、今回はイベントレポート②として、ご参加・ご視聴くださった皆様の感想コメントの紹介と、福島への寄付のご報告をさせていただきます。
※谷さんとゴーチブラザーズさんのご好意により、本読みパート以外、トーク部分の配信を再開いたしました。チャプターリストもついて、より視聴しやすくなっています。谷さんの貴重なお話をどうぞお楽しみください!
【編集版】谷賢一さんと読む!『福島三部作』(『本読み会』特別チャリティー企画)【概要欄チャプターリストあり
参加者&視聴者の感想コメント紹介
本日は戯曲を読む『本読み会』の特別チャリティー企画、谷賢一さんと読む「福島三部作」に読み手として参加してきました。
作品は谷賢一さんの「福島三部作」の二部「メビウスの輪」。
福島と原発の50年にわたる政治、経済の人間ドラマ(本の帯より)。
3.11から10年、終わらないテーマ。戯曲を読むのが好きな方々と、熱量満載で。
そして、今回は作者の谷さんも登壇してくださり、創作秘話を聞けたり、読み手もされて、贅沢な企画でした。本読み会主宰のお二人に感謝しております。
会の最後は、黙祷を捧げて終了。
作家が創作の背景や戯曲の疑問点に答え、読みにも参加するという充実ぶりで、大いに楽しませていただきました。企画や準備でご尽力いただいたおかげです。本当にありがとうございました。
谷さんは、現在形の問題意識、海外戯曲への目線、エンターテイメント性、哲学命題への「無謀な」挑戦など、現代日本で最も刺激的な劇作家・演出家だと思います。今後のご活躍が益々楽しみになりました。
とても面白い会でした。
ここ数日特に震災10年のドキュメンタリー番組等をよくテレビで見かけることが多いので、特に福島原発に関する今回の戯曲はタイムリーというか少し僕個人としても10年前を思い返している時期にこの「メビウスの輪」という戯曲を読めて良かったなと思っています。
いろいろと話題になっていましたが、モモがこの戯曲にとても重要な存在だったな改めて感じます。僕はモモの声が忠の良心という用にも感じられました。本当に言いたいことを後押ししてくれている良心に、様々な偶然が重なって蓋をしなくてはいけなかった忠の葛藤が非常にドラマを感じましたし、興味深いシーンでした。人間以上に哲学する犬はとても面白いし。きっと動物の方が人間以上により善く生きていく術を知っているじゃないかと感じました。何かに固執したり、利益とかいろんな社会の繋がり(嫌な意味での?)を背負って生きて行かないといけない人間に、何が自分のアイデンティティなのかという事を忘れないで欲しいと言われている様にも感じました。
311の後の原発事故を知っている私たちにとっては、もし86年の段階で原発の一時停止や危機管理の見直しなどをしてくれていたら、もしかしたら震災の時に少し違う結果があったのかなぁと考えてしまいます。現実の未来を知っていると余計に「メビウスの輪」という戯曲はスリリングに思えてきてしまいます。
とても楽しくオンライン視聴させていただきました!
私は広島出身ということもあり、根っからの原発反対派ですが、今日のお話を聞き、今まで全く理解できなかった原発推進派の方々の心のうちが分かった気がいたします。
これからはフクシマをより深く、身近に感じられるような気がします。
演劇の世界におられる谷賢一さんのお話は、視点がとても新鮮で大変興味深かったです。
そして、皆さんの朗読がプロ級なので驚きました。
楽しい時間を本当に有難うございました!
ライブ配信視聴ができず、アーカイブ配信で拝見しました。
皆さん迫真の読みでした。読みを聞くだけでもこれだけ訴えるものを感じたので、実際の舞台を見逃して残念です。
犬のモモの視点やセリフが、時に優しく時に達観していてとても良かったです。福島の死者の代表でもあり、犬の魂を借りた福島の土地の擬人化のようにも感じました。「ハイデガーのダス・マン」、教えていただきました。モモ、ありがとうございます。モモの存在は、生前どんな形であっても、魂は死後にゆるい感じで全知(全能ではないけれど)になるというか、地球上の知のネットワークに電脳化で繋がったようなイメージを持ちました。
町長が「未必の故意」と責められる場面は、進むことも引くこともできない「こんなはずではなかった」思いで、息苦しくなりました。町民の命に関わること、ひいては全人類に関わるような大ごとを、屁理屈のような論理で大真面目に矮小化するブラックジョークのような滑稽さ、恐ろしすぎて笑ってしまう脱力感。それを、コロナ問題でも国会などでリアルに見続けている既視感。(政治家の言葉はこれほど洗練されていないので、より苦痛ですが)ミュージカルパートを観てみたいです。
3.11以前の事故の可能性や、事故後の低線量被曝問題、汚水処理問題などは、被害を目視したり、また長期的な未来の被害を予見したりすることが困難です。言葉のみで戦って(意見を交わして)、相手を納得させ説得しなければなりません。そのあたりを語るときに、「言葉の応酬で戦う」演劇という表現方法がとても合っていると感じました。
参加者のかたも言っておられましたが、(個人的には原発に絶対反対ですけれど)異なる考えの登場人物の考えを「声に出して読む」ことで、一瞬その思考や感覚が腑に落ちることがあります。これは自分で発声するときに起こります。舞台では酷いキャラクターに見えた悪役のセリフを読んでいるときに「あ、わかる」と。戯曲を「読む」行為は、観劇と違う不思議な作用を引き起こします。そういう矛盾した「共感」を体験することは大切だと思いました。
谷さんもおっしゃっていましたが、演劇はドキュメンタリーではなく何かの問題に結論を出すものではないと思います。が、グレーな部分、曖昧な部分に耐えて諦めない力を感じました。
谷さんのお話で「チェルノブイリ事故に対する当時の日本メディアの反応を新聞のマイクロフィルムなどでかなり調べたが朝日ですら日本の真面目な国民性で業務を行えばヒューマンエラーはあり得ないという論調で驚いた…」というくだり、そういえば怖いといいながらも「だってあの国だから。日本は関係ない」という空気が当時確かにあった、と思い出しました。トーク部分は、戯曲の構成など演劇に関するお話に加え、相当な取材を重ねられてこその、こうした事実を振り返る意味でも大変重みがあり、聞き応えがありました。
正直を言いますと、最初に会場風景が映ったときに(けして派手な絵面ではないので)物語に集中できるかな、と一瞬思ったのですが、全く杞憂でした。また、合間にマスク姿で消毒する様子やパーテーションで分断された座席は、2年前には想像すらできなかったものです。現在は異常な事態であることを改めて思い、目に見えないものと戦っている作品ともリンクする気がしました。
できるなら参加したかったと思いました。素晴らしい機会をどうもありがとうございました。
とても充実した時間をありがとうございました。
主宰のお二人と谷さんの知識と回転の速さに終始びっくりしていました。私も手書きかPCか聞いてみたかったのですが、それも含めてお話が盛り沢山で、とても楽しかったです。
中でも印象に残っているのは、「裁判になっても根拠を出せるくらい」調べたという言葉です。インタビューのお話を聞きながら、これを受けとめ消化?して、戯曲にリビルドされたタフさというか、度量に圧倒されました。
「戯曲を読む会」で第三部を読む際にも思ったのですが、ヘビーさに怯みそうになっても、その日集まった方、隣の人も何か胸に持っているんだ、とにかく読み合ってみるしかないんだな、という心境になりました。
『福島三部作』第二部『1986年:メビウスの輪』は、「原発反対派のリーダーから、超原発推進派の町長に転身したという実在の人物をモデルに、死んだ飼い犬・モモの視点から、チェルノブイリ原発事故の報に揺れる双葉町の葛藤と苦悩を描いた傑作戯曲(「本読み会」さんの紹介文より)」で、私は、第五景から第七景の、モモを読みました。
主催の大野さんも仰っていましたが、2011年を生きているので、大変なことが起きた物語の25年後に、大変なことが起こるのを知っているのに彼らを止めることが出来ない、もどかしさや辛さを感じます。
漢字を間違えてしまったり、突然発言を求められ、アドリブやとっさの指名に弱い為、グダグダな発言をしてしまって、「うわぁ〜〜これが配信されているのよね!?」と、入る穴を探してしまったりしましたが、この世は舞台なのです!!失敗したからといって、代役をたてたり、途中で放棄するのは、もってのほか!!当てられて話したかったのは、当時、誰もが原発を推奨する中で、声なき少数派の声を代弁しているのがモモで、その声は、モモの長台詞にもあったように、「聴こえているはずなのに、かき消されてしまう、小さな声」なのかな。切ないですが、冒頭もラストも、モモの長台詞で飾られて、キーパーソン(キードッグ??)のような感じで、モモに配役されて嬉しかったです!ということです。
谷さんが御自らモデルとなったご家族や、現地の方々にインタビューをして構想を練り三町名も団体名もそのまま使いドキュメンタリー作品のようでありながら、突然「劇中劇・町長!町長!答えて下さい町長!」で場が始まったり、ロック調の音楽に合わせて「ミュージカル・日本の原発は安全です!SHOW」が始まったりと、重いだけではなく、エンターテイメント性もバッチリで、社会問題を考えながら楽しんで本読みや観劇も出来る、貴重な作品だと思います。
以前、絵本作家の田島征三氏が、「我々は政治家でも外交官でもないのだから、何かに付度して、表現の自由が奪われてはいけない。ただ、我々は芸術家なのだから、その作品は芸術的でなければならない」という主旨のことを仰っていて、とても感動したのですが、その言葉がピッタリ合う作品ではないでしょうか!?読み継がれ、上演され続けて欲しい作品です。
「谷賢一さんと読む!『福島三部作』」アーカイブ視聴中
質疑応答も面白いな~。書いてる時からもうあの俳優ならこれをどう話しそうかってイメージできていると。そういうもんかー。
この会、読む人うまい
登場人物の声が変わると言葉の味わいが変わって楽しいな
わたしが舞台を観たのは第三部のみで、第一部と二部はあらすじ程度しか知りませんでした。
戯曲を読んで、第三部でベッドにいたのが忠さんだったのかと、頭の中で繋がりました。
地域の政治と経済が、ご近所付き合いと地続きであるという、地方では顕著な傾向が「お茶の間」での会話に象徴されていると思いました。
反原発派であった忠さんと、その旗を降ろさせた吉岡さんについて、忠さんが吉岡さんを「リアリスト」と評しますが、吉岡さんは現状維持、つまり過去から連綿と続いている現在を見ている、言うなれば後ろ向きのリアリスト。忠さんは原発の危険性、つまり「起こりうるかもしれない」未来を見ている前向きのリアリスト。
本来なら背中合わせで交わるはずのない二人が、やり取りを重ねるうちに「ねじれ」、裏から表に、表から裏に変化する様は「メビウスの輪」そのものでした。
吉岡さんは自分の進む道が「表」であると信じて疑わず(あるいは疑えず)、忠さんは自分が「裏返ってしまった」ことに気づきながらも進まざるをえない。チェルノブイリ原発事故後の町長室での会話は、「今まで≒過去」を間違っていたと認められない、やり直しや立ち止まりを良しとしない現状維持派が、未来はおろか「現在≒事実」すらもねじ曲げる様が描かれていて、日本という国のあちこちで、今も同じようなことが繰り返されている絶望を感じてしまいました笑。
「読む」、特に声を出して読むことは、目や耳だけでなく、全身で物語とその裏や奥のものを受け取る行為なのだなと
あらためて実感しました。
たくさんの感想コメント、どうもありがとうございました!楽しんでいただけたというお声をたくさんいただき、企画した甲斐があった…と主宰二人喜んでおります。
谷さんのお話は、原発誘致の歴史から創作の秘密まで多岐に渡り、本当に刺激的なものでした。作家をお招きして直接お話を伺えることがこれほど楽しいとは・・・!今後の『本読み会』、現代の作家を多く取り上げ、また同様のイベントを企画するのも面白いなと感じました。
谷さん、ご参加・ご視聴くださった皆様、本当にありがとうございました!
寄付のご報告
今回のイベント、企画運営のためにカンパをお願いしておりましたが、本当にたくさんの方からご援助いただくことができました。想定を大きく上回る金額が集まりまして、無事イベント経費は皆様のご援助で賄うことができました!本当にありがとうございました。
そして、ご案内しておりました通り、イベントの必要経費を上回ってご援助いただいた金額につきましては、その全額を復興情報ポータルサイト『ふくしま復興ステーション』を通じ、福島の災害復興のために寄付させていただきました。以下にご報告させていただきます。
イベント収益:
73,394円
寄付金額:
75,000円
※1,606円は『本読み会』から補填いたしました。
皆様のお気持ちは確かにお届けいたしました。
改めて感謝いたします。どうもありがとうございました。
さて、以上で『本読み会』特別チャリティー企画「谷賢一さんと読む!『福島三部作』」のレポートは全て終わりとなります。今回はコロナ禍久々の対面本読み、また初めてのオンライン配信だったということもあり、至らない点も多々あったかと思いますが、皆様の温かいお言葉に励まされました。
まだまだ不自由な状況は続きそうですが、今後も魅力的な企画をたくさんご用意していければと考えています。引き続き、『本読み会』の応援をよろしくお願いいたします!
※谷さんとゴーチブラザーズさんのご好意により、本読みパート以外、トーク部分の配信を再開いたしました。チャプターリストもついて、より視聴しやすくなっています。谷さんの貴重なお話をどうぞお楽しみください!
【編集版】谷賢一さんと読む!『福島三部作』(『本読み会』特別チャリティー企画)【概要欄チャプターリストあり】