お待たせしました!
『本読み会』の特別上演企画『動物園物語』を振り返るレポート第一弾です。この企画のせいでほったらかしにしていた仕事に追われ、レポートが大変遅くなってしまいました。
今回の企画は、
『動物園物語』の上演
『戯曲に親しむ!ワークショップ』
『本読み会/テネシー・ウィリアムズと三好十郎』
の三本立てでした。なぜ三本も乱立したのか、今では全く覚えていません。おそらく熱病のようなものに浮かされていたのでしょう。
『戯曲に親しむ!ワークショップ』は共同主宰の大野くんが進めていたので、私は主に途中でひやかしを入れる係だったのですが、ぼんやり聞いていると、彼はこんな言葉を投げかけました。
「戯曲には、三つの声がある。作者の声、登場人物の声、そして読む人の声。『本読み会』を通じて、僕はそのことに気づきました。」
おお、お前そんなかっこいいことに気づいてたのか。気づいたんならもっと早く言え。なるほど、と、この時ばかりは私もホスト側であることを忘れ、完全に参加者の一人となって頷いていました。「三つの〇〇」というと、物事はそれらしく聞こえる場合が多いのです。しかし、このことは、演劇というものを考える上で様々なヒントになります。
例えば、時間もそう。演劇には、三つの時間があります。時代と言ってもいい。作者がその戯曲を書いた時代、戯曲の中に設定されている時代、そしてその戯曲が上演される(読まれる)時代。この三つが、演劇では同時に流れています。
場所なんかもそうですね。ただ、場所はちょっとややこしい。ひとつめは、戯曲の中に設定された場所。ふたつめは、その戯曲が上演される場所(劇場)。そして最後に、戯曲が劇場で上演されることによって現れる「劇空間」です。これはふたつめの「劇場」とはちょっと違う。
例えば、今回の『動物園物語』で言うと、ひとつめは戯曲に書いてある「ニューヨーク、セントラルパーク」のこと。アメリカにあるやつですね。ふたつめは、この戯曲を上演した「Cafe&Bar木星劇場」のこと。池袋C3出口から徒歩10秒のあそこです。みっつめは、木星劇場で『動物園物語』の上演をやっている時だけ現れる、演劇の場としての「セントラルパーク」です。こいつは決して本物のセントラルパークではありません。と同時に、僕らは美術や照明や音響や演技を駆使して、なんとかお客さんが池袋にいることを忘れるよう仕掛けを張り巡らせてきました。そこに現れるのは、「架空のセントラルパーク」あるいは「幻想のセントラルパーク」です。ややこしいかな。
では、俳優はどうでしょうか?
このテーマはレポート第二弾に続きます!
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(松山)