7月も中盤。蝉の鳴き声に誘われて夏らしい戯曲を読もうと思ったら、すっかり梅雨が長引いているではありませんか。半袖に一枚羽織りながらの『本読み会』、今回は思いっきり現代の作家に寄せて、松田正隆『夏の砂の上』(1999年)を読みました。
長崎県出身の松田正隆は『坂の上の家』(1993)、『海と日傘』(1994)、『月の岬』(1998)、そして『夏の砂の上』(1999)などの作品を次々と発表し、平田オリザと並んで90年代の演劇界を代表する劇作家・演出家となりました。ちょうど『本読み会』を主宰する私や大野が高校生から大学生の時期です。演劇に強く魅せられて劇場に足を運ぶようになった時期に、松田正隆の作品はどこか既存の演劇とは違う雰囲気を纏って私の前に立ち現れました。
「静かな演劇」という言葉で紹介される90年代の演劇。たしかに、この言葉は時代の特徴でした。舞台上で起こるのはどこまでも日常的なやり取りで、舞台上も観客も、過度に興奮したり感動したりすることからどこか距離を置くような、いま思えば不思議な時代です。密着することもなく、かといって断絶することもなく、付かず離れず、微妙な距離感が劇場の中に漂っていました。「シェア」という言葉もないままに、舞台と客席で間接的なやり取りを繰り返して、おぼろげながら劇全体の浮かび上がる演劇が極めて多かったのを覚えています。波長が合った時は面白いが、外れた時はなんだか演劇を観た気がしない、という思いも数多く抱えました。
そんな中、『夏の砂の上』では「記憶」や「時間」という極めてオーソドックスなテーマに正面から向き合った骨太な戯曲です。治と恵子は早くして子供を亡くし、今は夫婦別居中。その治ですが、突然親戚からしばらく娘(優子)をあずかってくれと押しかけられます。半ば強引に同棲を始めた治と優子。もう何日も雨の降らない長崎の街で、ふたりの乾いた心が水を求めるようにお互いを埋め合います。ふたりの記憶は、子どもを亡くした日のこと、中学時代の友人のこと、母親に連れられて住処を転々としたこと、中華料理屋で鳥をさばいたことなどに及びますが、そのどれもがいつのまにか曖昧な記憶となって、現実と夢の境をただよい始めます。それは日照りの続く長崎に立ち上る蜃気楼を思い起こさせる景色です。
そして、個人の記憶は曖昧になって他者の記憶と混ざり、さらに時間を遡り、長崎が最も乾いてしまった日、つまり原爆投下の瞬間まで連鎖していくのです。
優子 ……ピカーって、光って、……一瞬のうちに、消えてなくなってしまったんでしょう、この街。
(中略)
優子 ......白く、しろーく、ひかって、私も消えてしまいたい。
松田正隆『夏の砂の上』
優子のこの二つの台詞は、自分と街を重ね合わせることによって、舞台のイメージを個人から共同体、そして時代そのものへと昇華するものでしょう。『夏の砂の上』は、一見写実的な対話が非常に大きな物語へと連なり、そしてまた個人の問題へと戻ってくる強烈なダイナミズムをもった戯曲なのです。
参加されたみなさんもぶっつけ本番で長崎弁を喋りながら読むわけですが、こういう「見よう見まねで方言を喋ってみる」というのも、読み手の意外な魅力を引き出すものですね。私も決して長崎の人間ではありませんが、この語感があってこそこの戯曲の空気感が醸し出されるのではないでしょうか。
個人的に読みながら思い浮かべたのは、サム・シェパードの『埋められた子供』と、エドワード・オールビーの『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』の二本です。いずれも、「子どもを失う」という経験が登場人物の間に不和を引き起こすのですが、それが現実にそうだったのか想像上の物語だったのかがどこか曖昧で、どちらかというと「失う」「忘れる」という行為そのものが研ぎ澄まされていく戯曲だからかもしれません。
そういえば、毎年恒例シネ・リーブル池袋の「NTLiveアンコール夏祭り」が今年も開催されますが、『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』がラインナップされていましたよ!夏のひととき、ちと喉を潤してみては?
(松山)