8月21日、 『本読み会』リーディング・ライブ in 岸田國士を読む。夏 の幕を無事降ろすことができました。ご来場いただいた皆様、応援いただいた皆様、どうもありがとうございました!
今回は、“リーディング上演を聴く楽しさ”だけでなく、“戯曲を読む楽しさ”もご紹介したいと考えて、ト書きを読んだり、戯曲をスライドに映したりと、様々な工夫を凝らしてイベントを作り上げました。
我々も試行錯誤しながらの稽古で、どんなイベントになるかと心配もしていたのですが、まあとにかく基本に忠実に、戯曲に立ち返って考えていった結果、たくさんのお客様から「楽しかったです!」とお声がけいただくことができまして、ホッと胸を撫で下ろした次第です。
これで少しでも戯曲に興味を持つ人が増えたんであれば、やった甲斐があったというものでしょう。
僕(大野)個人としては、今回の上演を通して、2つのことが大きな学びになりました。
1つ目は、リーディングという形式が持つ構造についてです。
僕はこれまでずっと、リーディング公演の特徴っていうのは、俳優が「動きをつけずに」「声だけで」演じることにあると思ってたんですが、それは本質ではないことに気づいちゃいました。リーディング公演の本質的な特徴っていうのは、「俳優が台本を持って演じる」ことにあったんですね!
普通のお芝居では、俳優は台本は持ちません。つまり、物語の世界にお客さんを引き込むには、台本を持っている俳優の姿が見えてしまっては、邪魔にしかならないのです。ところがリーディング公演では、それをやっている。リーディングの場合、物語は”耳で聴く”ものなので、台本を持つ俳優の姿が見えてしまっても問題ない、という考え方なのでしょう。
そしてそれは、さらに言えば、「役」の人物を提示するだけでなく、「役を演じる俳優」も一緒に提示するということだと思います。リーディング公演とは、物語や役といった「虚構」をお客さんに聴かせる形式であるのと同時に、「物語や役に、俳優がいかに立ち向かうか」を見せる「ドキュメンタリー」の形式でもあるのではないでしょうか。
目を閉じれば、物語の世界が広がる。だけど目を開ければ、そこには役者が物語と格闘する舞台裏が見える。それが、「リーディング」という形式が持つ構造なんだな、と思いました。
それから2つ目は、戯曲に必要な”ムダ”についてです。
今回読んだ作品の中で「沢氏の二人娘」はダイジェスト版の上演でした。つまり、岸田の書いたもともとの戯曲からシーンやセリフを抜き出して、上演台本を作ったのです。台本作成の作業については、戯曲研究でご協力いただいた清末浩平さんにお願いしたのですが、この台本、当初はイベント全体の時間を2時間に抑えるために、かなり無理なお願いをして、削りに削った台本にしてもらっていました。
清末さんはかなり精密な戯曲の構造分析に基づいて作業をしているので、この最初のバージョンでもちゃんと話は伝わるものだったのですが・・・ところが稽古を進める中で、岸田の書いたフルバージョンの戯曲と読み比べをしてしまうと、やっぱり岸田戯曲の味わいが多少損なわれた感じがしてしまったのです(まあカットしているのだから当然のことなんですが)。
時間を取るか、味わいを取るかでちょっと葛藤もしたのですが、そこは『本読み会』。劇作家先生の想いを届けるのが本筋だろうと、清末さんにご相談して、少しだけ、カットしていたセリフを元に戻すことにしました。
さて、岸田戯曲の味わいを取り戻すべく、カットされたセリフを見返す作業を始めてみると、あることに気づきました。フルバージョンとダイジェスト版を読み比べた時に、岸田戯曲に味わいをもたらしているのは、あら不思議。例えば他のセリフの言い換えのような、意味内容の重複するセリフだったり、話の流れに何の関係も持たないような周りから浮いたセリフだったり、つまり、一見”ムダ”なセリフばかりだったんです。
これらのセリフ、話の筋を伝える上ではあまり意味がないセリフなので、作品の上演時間を短くしようと思ったら、ここから削っていくのは大正解なのですが、なぜかそれらのセリフを戻していくと、役の人物に感情が流れ込むように感じられたのですね。
不思議だなぁ、と思ったその時、ハッと気づきました。
生身の人間の感情の流れというのは、一見無意味な、ムダな言葉の積み重ねの中にあるのではないか。意味のはっきりした会話、ムダのない会話だけでは、人の心は追えないのではないだろうか。岸田國士は、そうした人間のあり方を戯曲に込めるために、これらの言葉を書き込んでいるんだ、と。
台本修正の相談をする中で、清末さんが「これが一番カットしたくなかった、深みのあるセリフ」と言ったセリフがありました。二場、愛子が父に過去の出来事を説明する中に出てくる「かすかに、流れの音が聞えて来て、あの人のバスにそれが交ると、寝返りを打つのも怖いやうな静かな晩になつたわ。」というセリフです。
このセリフも、過去に起こった出来事を他者に伝えるという目的の中では、無意味で不合理な、なくなっても構わないようなセリフだと言えるのですが、公演当日、愛子を演じた平佐喜子さんが、このセリフでお客さんを物語の世界に引き込んでいくのを目の当たりにして、ああすごい、と思いました。清末さんも平さんもですが、やっぱり岸田國士はホントにすごい、と思いました。
はい、いつものことですが、また話が長くなってしまいました!とにかく、やってる方も楽しいイベントになったので、本当に良かったです。みなさん、本当にどうもありがとうございました!
以上で大野のレポートは終わりにしたいと思いますが、また松山も何か書きたいそうなので、アップしたらぜひ読んでください。
→松山の書いたレポート第二弾はコチラ
→清末さんの書いたレポート第三弾はコチラ
→西村くんの書いたレポート第四弾はコチラ
・・・しかしこう書いてみると、『本読み会』ってクソまじめな団体ですよね。。ただでさえ活動が地味なので、せめて印象だけでも華やか、軽やかな感じにしたいところなんですが。。
皆さん、何かいいアイディアがあったら、教えてください!
それでは。
(大野)