「日本人に生まれながら、あるいは日本語を解しながら、鏡花の作品を読まないのは、せっかくの日本人たる特権を抛棄しているようなものだ。」
かの中島敦は、泉鏡花の文章を評してこう断言します。
ここで言う「読む」というのは、何も「黙読する」という意味だけに限らないでしょう。
みずから声に出して読んで、あるいは人が読んでいるのを耳で聞いて、はじめて鏡花の流麗な文章が腑に落ちる。
今年最後の『本読み会』は、そんな音読の贅を味わい尽くす絶好の機会となりました。
現在もそこに豊かな水をたたえる夜叉ケ池。この地にまつわる伝説を元に書かれた戯曲『夜叉ケ池』は、人間が自然とどう折合いをつけて生きていくかを真っ向から描いた作品です。
自然の象徴である物の怪と人間の対立が一方であり、生け贄を差し出そうとする者と、それをさせまいと対立する人間たちがもう一方でうごめきます。
そして、生け贄にされるのはいつでも決まって美しい娘。鏡花の戯曲では、とりわけ女性がそれはそれは美しく描かれています。
心は自然と一体というほど清く、強く、そして報われない、だからこそ美しい。
女性の参加者が多かったのは、このあたりの事情もあったのかもしれません。
とかく耽美的な印象の強い泉鏡花ですが、台詞を紐解いていくと意外にサービス精神旺盛な文体であることに参加者一同驚きました。
対話の妙あり、独白の底力あり、ばかばかしい箸休めあり。
「茶も茶じゃが、いやあこれは、髭のようにもじゃもじゃと聞こえておかしい。」
こんなの声に出さなきゃおもしろくないし、声に出すと虚しくなるほどおかしい。
読んでは、話し、話しては読んで、参加者の方々のおかげでこちらが勉強になりました。
鏡花の文章を声に出して読み、日本人たる特権を余すところなく味わいつくした。そんな『本読み会』になったのではないでしょうか。
寒い中ご参加いただいた方々、どうもありがとうございました。