数日続いた雨がピタリと止み、風のない猛烈な暑さの中『本読み会・ピランデルロ』が開催されました。1921年にローマで初演されたこの戯曲は、決して好意的に受け止められることなく、むしろ反感とひんしゅくの嵐によって出迎えられました。それほどまでに『作者を探す六人の登場人物』は、あまりにも演劇の未来を先取りした「書かれるには早すぎる戯曲」だったのかもしれません。
当時の模様を垣間見てみると、
1921年5月のある晩、ローマは「テアトロ・デッラ・ヴァッレ」で、『作者を探す六人の登場人物』が初演されたとき、観客は客席に入るなり、舞台機構の向き出しになった舞台を目にして、すぐに抗議の声をあげたという。(中略)観客の激しい拒否の中を劇は進行したが、幕が下りた後はさらに激しい怒号を浴びせかけられた。ピランデルロ自身も罵詈雑言のうちに劇場をひそかに退散しなければならなかった。
(田之倉稔『イタリアのアヴァンギャルド 未来派からピランデルロへ』)
本番を控えた劇場を舞台に、座長とその一座がリハーサルを行っていると、どこからともなく現れる父親、母親、継母、息子、男児、女児-ー六人の「登場人物」。稽古を乱され腹を立てる座長に、父親は「私どもは作者を探しております。」と告げます。彼らは家庭内に渦巻くあらゆる問題を劇作品にしてくれる作者を探している模様。そのことによってしか、「登場人物」である彼らは生きることができません。
そう言われても…とうろたえる座長とその一座。「私どもは生きたいのでございます!」「私どもがドラマなのでございます。」と詰め寄る家族。戯曲は劇中劇の構造を保ちながらドタバタのコメディとして進行していきます。当時の観客にとっては、これが「あまりにも不真面目」と映ったようですが・・・。
現代の私たちは様々な演出手法に慣れていますし、少し演劇をかじった人なら「ああ、こういうパターンの芝居か」と通り過ぎてしまいますが、よく読んでみると思った以上に複雑な戯曲です。まず、劇場が舞台という時点で二重構造。さらに外部からやって来た人々が舞台上で劇中劇をやってみせる。さらにその劇中劇を俳優「役」が演じてみる、という芝居全体を俳優が演じている…何重にも重ねられた入れ子構造が舞台の上で渦を巻いています。
こういうときは、観客もタダではすみません。『オペラ座の怪人』や『オケピ!』なんかもそうですが、劇場を舞台にした作品の場合は、観客は座席に座っているだけで「観客役」を担うことになるのです。リアルな観客である自分と「観客役」である自分が、目の前で繰り広げられる複雑な入れ子構造の芝居を観ている…『作者を探す六人の登場人物』は、ドタバタコメディの装いをまといながら、観るとは何か、リアルとは何か、そして演劇とは何かという普遍的な問いを私たちに投げかけてきます。その手の込みようはもはやグロテスクと言っても差し支えありません。
とにかくあまりにも複雑で、一人で読んでいると迷子になりそうなのですが、今回も私たちを導いてくれたのは「声」でした。声に出して読んでみることで、何が起こっているのかがはっきりとわかる。誰が演じていて誰が観ていて、どういう状況なのか取り違えるということはありません。それは戯曲の、そして演劇の根幹を支える「誰が誰に行動を起こしているのか?」が可視化され、音声化されて立ち現れるからに他なりません。いつも『本読み会』でやっている「声に出して読む」に加え、今回は「その場に集まって声に出して読む」というのがいかに大切なことであったか痛感することになりました。読み手が目の前にいるのが本読みの魅力だったんですね…。
長年やっておりますが、あたりまえのことに毎度気づいて関心するやら、もうちょっと早く気づけなかったものか情けなくなるやら。まあ、だからこそ次回も懲りずに戯曲を選んでいくのかもしれません。(松山)