蜷川さんからのハガキ 〜追悼・蜷川幸雄〜

演出家の蜷川幸雄さんが亡くなった。

たくさんの追悼記事が上がっているので、今更彼の経歴を説明する必要もないだろうが、60年代の演出家デビュー以降、常に第一線で日本の演劇界を引っ張ってきた方だった。
若手の教育にも大変熱心な方で、実は私も、以前はニナガワカンパニーに所属する俳優として、蜷川さんの教えを受けたことがある。ほんの僅かの間のことなので、私なんかが蜷川さんの事を語るのも気がひけるのだけれど、いくつか忘れられない思い出があるので、追悼の言葉の代わりに、そうした思い出について書きたいと思う。



蜷川さんのところに居た、という話をすると、いつも聞かれることがある。
「本当に灰皿投げるんですか?」
答えから言うと、私が稽古場に通っていた頃は、もう灰皿は投げていなかった。長年蜷川さんと一緒に芝居を作ってきたベテランのおじさん俳優さんたちは、「昔は投げてたけど、今は投げなくなった」「その代わり稽古がねちっこくなった」「昔は、芝居が良くないと、怒って灰皿投げてすぐに稽古が終わってたけど、今は芝居が良くなるまで稽古を続ける」「良くなるまでは何時間でも同じシーンを繰り返すから疲れる。昔の方が良かった」などと、笑いながら言っていた。

厳しい演出家のイメージが先行しているかもしれないが、蜷川さんは、とても周りから慕われている演出家だった。私も大好きだ。確かに厳しくて怖いような感じもするのだが、父親の厳しさとでも言おうか、いつも優しさが感じられるので、人が離れていくというような感じではなかった。灰皿のエピソードに関しても、灰の入ったものは投げなかったらしい。おじさん俳優さんたちが言うには、「一度、いつものアルミの軽い灰皿を、稽古中にそーっとガラス製の重たい灰皿にすり替えておいたことがある」「怒って灰皿を持ったけど、その後周りをキョロキョロして、そのまま灰皿を戻した。意外と冷静にやってるんだよね」とのこと。楽しい稽古場だと思う。

「もう灰皿は投げていなかった」と書いたが、1度だけキーホルダーを投げたのは見たことがある。というより、投げられたことがある。私があまり稽古場の見学に行っていなかったので、蜷川さんがカンカンに怒って投げたのだ。
ここで少し補足で説明をしておくが、ニナガワカンパニーの俳優養成システムは特殊なもので、いわゆる授業やレッスンなどは全く用意されていなかった。俳優たちができることは、蜷川さんの作る芝居の稽古場を見学することと、自分たちでエチュードを作り、それを蜷川さんに見てもらうことだった。蜷川さんは俳優の自主性、主体性(というより、熱量、と言えるかもしれない)を大変重んじる方だったので、自分から勉強しようと思わなければ、全く何も学ばないまま時間が過ぎてしまうシステムだった。「〜をしなさい」「〜をした方がいい」なんて声は誰からもかからない。エチュードをする時も、自分で戯曲を選び、シーンを選び、相手役を選び、それからその相手に出演交渉をして、稽古をして、道具や衣装を用意して・・・と、すべて自分から動かなければいけなかった。

私がニナガワカンパニーに入団したのは19歳、大学1年の終わりの頃だったのだが、本当に馬鹿な学生で、生来の怠けもの気質が縛りの少ない生活で本領を発揮し、稽古にも行かず、大学の授業もほぼ出ずに、一日本を読んで過ごしたり、映画を見たり、デートをしたりして過ごしていた。(ちなみに大学1年の時に取った単位は10単位くらい。その後休学も含めて5年ほど通って60単位くらいしか取らずに中退している。父さん、母さん、ごめんなさい!)
まあ簡単に言えば、主体的に動くための、肝心の主体が育っていなかったのである。で、入団して半年ほど経つのに、ほとんど稽古場にも顔を出さないやる気のない俳優に、蜷川さんはカンカンに怒ってキーホルダーを投げたのだが、当の馬鹿な学生は、そこまでされても、ヒエ〜っと縮み上がりながらも「灰皿じゃなかったけど、本当に投げるんだ〜」などと呑気に驚いていた。つける薬がない。で、蜷川さんもつける薬がないと思ったのだろう、その数日後に、以下のハガキが届いた。
ninagawa-hagaki

このハガキは当時、カンパニー内で”赤紙”と呼ばれ恐れられていたもので、まあ言ってしまえば、戦力外通告、クビの宣告だ。これにはさすがの私も血の気が引いた。目の前が真っ暗になる、という感じだった。せっかく入った憧れのカンパニーから、たった半年でクビの宣告をされたのだから当然だ。だったらもう少し真面目にやっていれば良かったのだが、馬鹿だから仕方ない。ただ、馬鹿なりに反省して、ハガキが届いた翌日、デートの予定をキャンセルして、埼玉芸術劇場の稽古場に蜷川さんに謝りに行った。休憩になったのを見計らって、60過ぎてもピチピチのTシャツ(蛍光色)を着てコンビニのおにぎりを食べている蜷川さんの前に進み出て、「退団を考え直してもらえませんか」と震えながら頼んだら、ニコニコしながら僕の頭をペシッと叩いて、すぐにOKしてくれた。当時は「演劇的理念」の言葉の重さとか、たくさんの関係者の中で誰が稽古場に来ていないかちゃんと把握していることの凄さとか、わざわざハガキを書いて出してくれる優しさとか、全く分かっていなかったが、蜷川さんはこういう人だった。

その後、私は心機一転、真面目な俳優に生まれ変わって・・・と、ことはそう上手くは運ばなかったのだが(人生って難しいね!)、それでもその後数年はカンパニーに所属し、蜷川さんの演出を受ける機会にも恵まれ、様々なことを学ぶことができた。

「演劇は赤字を出しちゃいけない、いつか続けることができなくなるから」
「才能ない奴が勉強しないで、どうやって生き残るんだ」
「学びの場に居合わせることができるってことも才能」
「たとえ稽古場のエチュードでも、やるなら世界レベルのものを目指せ。欲望の飛距離を伸ばせ」

これ以上長くなってもいけないから細かい話はしないが、こうした言葉の数々は、臨床心理の世界で仕事をしている今も、私の中に残っている。ちょっと自分の名誉回復のために自慢話をするならば、大学、大学院と通い直した際、自分は人が変わったように真面目に勉強をして、学長賞などいただくこともできたのだが、これも考えてみれば蜷川さんの教えのおかげかもしれない。今も怠け癖はなかなか抜けないのだが、「勉強しなきゃなぁ」と思うくらいには馬鹿もマシになってきたところを見ると、さしずめあのハガキが薬になったのだろう。人に主体性を与える、劇薬だ。蜷川さんは、そういう人だった。

まだまだ書きたいことはたくさんあるのだが、今日はここでひとまず筆を置こうと思う。
蜷川さん、本当にありがとうございました。お世話になりました。心より、ご冥福をお祈り申し上げます。

追記:こちらの記事もご紹介したいと思います。NINAGAWA STUDIOのホームページの記事です。大変良い記事と思います。

NINAGAWA STUDIO 「ベニサン最後のエチュード」
http://www.ninagawastudio.net/Special%20contents/Last%20etude.html#

(大野遙)

蜷川さんからのハガキ 〜追悼・蜷川幸雄〜」への6件のフィードバック

  1. 平澤健一

    優しい方だったんですね。そして照れやでもあられたのですね。大野さんが羨ましいです。私なぞ蜷川先生と全く関係ない身分ですが大変ショックです。もっと大野さんからお話伺いたいです。

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    1. 『本読み会』 投稿作成者

      そうですね。優しくて、照れ屋だったと思います。
      私は本当に短い間の関わりだったので、そんなにお話できることもないんですよ。また失敗談などは記事にするかもしれませんが笑。
      ネット上でも、すでにたくさんの方が追悼の言葉や思い出を語っていらっしゃって、蜷川さんのお人柄が伝わってきます。

      返信
  2. 若松明

    楽しいお話ですね。蜷川さんと大学1年生の大野さんの姿がドラマの1場面のように想像できました。私も大学生の時に、新宿文化のかなり上の階で、1969年の晩夏、夜の10時ごろから(普通は映画館で夜だけ芝居が)上演された、現代人劇場時代の蜷川さんが演出した「真情あふるる軽薄さ」を観劇したことを、今でもまざまざと思い出します。新宿の街の外では当時、機動隊は日常の光景でした。それと同じ光景を芝居のラストで、蜷川さんは劇場の観客席に持ち込んでいました。後年の蜷川演出に比べれば、子供だまし程度だったでしょうが、新進気鋭の演出家の時代と真っ向から取り組む姿勢に大いに刺激を受けました。

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    1. 『本読み会』 投稿作成者

      『真情あふるる軽薄さ』の初演はもう文字通りの伝説です。本当に羨ましいです。
      60年代の演劇界のことを学んでいてよく思うのですが、人間の平熱が今より高いですよね。今はインターネットのおかげで情報は豊かだし、演劇人の横のつながりも強いですが、外に向かっていく熱があまり感じられません。僕だけかな?喫茶店でたまたま居合わせた客同士で演劇論を戦わせたなんて話を読んだりすると、やっぱり羨ましくなってしまいます。

      返信
  3. いなば

    そういえば稽古場で、蜷川さんと演出助手の尊晶さんが
    「あいつはどうした」「ああ、学生か」
    などと話していたのをいきなり思い出しました。
    おそらく大野さんの事を話していたのでしょうね。
    確か場所もさいたま芸術劇場の稽古場だったかと思います。
    ひょっとしたら、その現場を私見ていたかもしれません(笑

    森下のスタジオの稽古場の予約状況なども把握してたようです。
    あいつはどうしてるんだ?
    最近見ないけどバイトか?稽古か?
    さいたまやコクーンの稽古場に来ているメンバーに聞いてましたね。

    口は悪いけど、優しくてあたたかい方でした。
    エチュードやれよ、おまえら!
    今年はカンパニー公演やるぞ!なんて言ってる時はとても楽しそうでした。
    演劇を心から愛していた方でした。

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    1. 『本読み会』 投稿作成者

      あー、僕の可能性はありますね。現役学生少なかったですし。

      実はハガキの話には後日譚がありまして、クビを回避した数日後くらいに、蜷川さんから「お前学生だったのか。じゃあ来れねぇよな!笑」って謝られたんですよ笑。
      ただ、僕、学校も行ってなかったんで、全然学生とか関係なかったんですけど、まあそこは何も言わずにニコニコやり過ごしました笑。

      『本読み会』の活動なんて、完全に蜷川さんの影響ですよ。「戯曲の勉強しなきゃって思うけど、自分一人じゃ怠けちゃうから」って始めたのが『本読み会』なのでね。
      上演企画も、当時のエチュード作りの精神。戯曲選んで、とにかく演る!蜷川さんに、もう一度見ていただきたかったなぁ。。

      返信

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