先日、エイプリルフールのネタとして、第800回(嘘八百、の800です)のレポートをアップしましたが、今回のレポートが本物です笑。どうぞご覧くださいませ。
第78回『本読み会・久保田万太郎』レポート
年度末ぎりぎりの『本読み会』となりました。普段大学に努めている私にとって、3月は1年の終わり。4年生が卒業して、桜が咲き始めて、4月1日から年が明けて、新入生がはいってくるという心持ちです。今回はまさにその年末を舞台にした戯曲、久保田万太郎『ゆく年』を読んでみることにしました。
久保田万太郎は明治22年に東京浅草に生まれ。慶應大学を経て文壇・劇壇にデビューした生粋の東京人です。昭和12年には岸田國士、岩田豊雄とともに文学座を創設し、今へ連なる新劇の礎を築きました。今や落語でしか耳にすることのなくなった江戸の言葉が、戯曲の底流を流れる情緒となって作品を支えます。
その一方で、年末なら誰でもいいそうな言葉から始まって、旅館に隠された家族の事情が徐々に明るみになるくだりなどは、地の文を使わず、対話だけで進行する戯曲ならではの妙技でしょう。一見、実に何気ない対話から問題の確信へと近づいていく中には、ピラミッドのように積み重ねられた緻密な構成が隠れています。久保田万太郎という劇作家の中で、江戸情緒と近代の劇作術が見事に融合しているのです。
『ゆく年』は、魚屋と旅館の主である定吉と、その家族の話。丈夫だった定吉も寄る年波には勝てず、最近は床に臥せりがち。子どもは四人に恵まれましたものの、次男はその昔女と駆け落ちして絶縁状態。しかもそのとき家の金を持ち逃げしたからタチが悪い。末っ子の娘はぼちぼちお嫁に行く年ですが、定吉はまだ早いと言い、気の強い女房は行かせろと言ってききません。
家庭にはよくありがちな悩みの種ではありますが、『ゆく年』は問題が起こり、ドラマチックにそれを解決していく類の戯曲ではないでしょう。こうした市井の問題が時間の経過とともに少しずつ立ち現れ、登場人物たちは昔の出来事にも想いを馳せながら、だんだんに年が暮れていきます。
娘が嫁に行くか行かないか、家出した息子が帰ってくるか来ないかというドラマの展開が問題なのではありません。それらの問題に右往左往する人々を外側から見守るような、もっと言えば、年末という大きな時間の流れそのものが中心にどっかと据えられている戯曲なのです。
今回は時間に余裕があったので、ページをさかのぼって「ここが伏線、ここが回収、ここの言葉遣いは・・・」と詰めていくことができました。読んで聞くだけでなく、読み終わったばかりのホットな空気のままあれこれ話せるのは実に楽しい。見終わった映画を逆回しにしながら感想を言い合っているような時間です。
最後に、久保田万太郎は俳句をこよなく愛し、句人としても評価の高い人物でありました。
ゆく年やしめきりてきく風の音
新元号が発表され、平成から令和へとおおきくまたぐ「ゆく年」となりました。次回は新時代の一発目なので、思いっきり新しい劇作家にチャレンジしようかと画策しています。
(松山)