金木犀の静かな香りが風に乗ってやってくると、いよいよ秋深しと感じるものです。そんな秋晴れの日、ベケットに双肩する不条理劇の王様、イヨネスコの代表作『犀』を読む『本読み会』です。
「金木犀」が「犀」の導入だと気付きましたか?
とある日曜日、おだやかなカフェのテラスを、突如、一頭の犀(サイ)が駆け抜けます。戻ってきた犀は一匹の猫を踏み殺し、再び砂煙を巻き上げて街角へ姿を消します。翌日は同僚の一人が犀になってしまい、会社に突入してきたかと思うと、街の人々が次々と犀に変わってしまい、最後に残された主人公ベランジェは、「ぼくは最後まで人間でいる、負けないぞ、絶対に…」と叫ぶところで閉幕。この破天荒な展開、まさに不条理王の称号にふさわしい。
犀とは、何物か?犀はなぜ現れたのか?犀は一体何を象徴しているのか?
たしかに、犀をファシズムの象徴ととらえることは、この戯曲を少しだけ読みやすくしてくれるかもしれません。たしかにイヨネスコは20代後半〜30代にかけて第二次世界大戦を経験し、彼の創作に大きな影を落としています。
しかし、「『犀』は台頭する政治イデオロギーに対する個人の苦闘を扱ったものですか?」というインタビューに、イヨネスコはこう答えています。
「もう少し広い問題でしょう。あの劇が描いているのは、あらゆる専制独断の体制、洋の東西を問わず偶像崇拝にまでいくあらゆるイデオロギーに対する苦闘です。(中略)わたしは教訓的演劇には興味がないのです。演劇は自立した表現体系です。イデオロギーの解説であるはずはないのです。」
『犀』という戯曲は、場面ごとに読めば大変よくできたコメディで、実際声に出して読むと構造の緻密さに舌を巻きます。ただ、全て読み通したときに、戯曲全体からどうにも払拭しきれない不気味さが漂っているのに気付いた方も多いのではないでしょうか。そう、この戯曲は、犀に追い回される人を笑う人を笑っているのです。
イヨネスコの言葉を体現するように、『犀』は今日に至っても輝きを放ち続けます。世界が極端に傾いていく時、優れた戯曲は道化役を買って出てあざ笑い、私たちに警鐘を鳴らすのかもしれません。
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(松山)