2015年8月23日、『読んで楽しい!現代戯曲』第二弾として、三島由紀夫の『朱雀家の滅亡』を読みました!
第55回『本読み会・三島由紀夫』開催レポートはこちら!
さすが我が国を代表する劇作家。参加者を募集し始めて半日経たないうちに定員に達してしまうという人気ぶりでした。
当日の本読みも大いに盛り上がりました。難しい漢字につっかえつっかえしながらも、ゾクゾクするような美しいセリフの数々に魅了されっぱなし。一幕読み終える度に、「ふ〜」とため息をついたり、はたまた緊張感ある静寂が続いたり・・・。疑問・質問も数多く飛び出して、皆で頭をひねった4時間となりました(いやー、疲れました!!)。
ご参加いただいた皆さま、本当にありがとうございました。
さて、ここからは、当日参加できなかった方にも会の雰囲気を味わっていただけるよう、参加者からいただいた感想などをまとめて掲載いたします。ページ下部からコメント投稿もできますので、ご参加いただけなかった方も是非コメント等いただければ幸いです。
◯参加者からの感想
※※※【本読み会】三島由紀夫「朱雀家の滅亡」を読む、終了。書き込まれる情念の量の多さとフェアさに圧倒される。しかし、それすらもマッチョ。終了後、大野さんに貴重な戯曲をお借りする。やっはー。読むぞー。電子化するぞー!
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本読み会。三島由紀夫『朱雀家の滅亡』言葉が、声を呼吸を導く。読み進むにつれ高揚する不思議。浮かび上がる情景。演劇で観たい!新国立劇場のライブラリーに行きたいな。本読み会の楽しみはみなさんのおはなし。時代だったり三島だったり演劇だったり。ものを知らないわたしにはとっても楽しい時間!
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本読み会初参加でした〜演技というものをしてみたのは初めてでしたが、役者さん方のやり取りに自分が入れるというのは不思議な体験でした。ただ目で追っている場合と朗読するのでは、自分への入ってくる感じも全く違うんだな、と興味深く思いました。
あと同じ一幕に関しての感想でも、演劇界隈の方々は「ここの台詞は客席側を向いて言うのか」等仰っていました。文学作品としてしか戯曲を見たことのない自分にはそこに着目するんだ!というのばかりで、かなり新鮮でした!楽しい〜〜
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「本読み会」で『朱雀家の滅亡』(1967)を読んだ。
太平洋戦争終戦前後の二年間の春・秋・夏・冬の四幕で、ある華族の滅亡を追う。
戦争末期に朱雀家の当主である経隆は政敵を失脚させるために奔走し、それに成功する。天皇を深く敬愛する経隆はしかし天皇の目に「何もするな。何もせずにおれ」というメッセージを読み取り、政界から隠遁してしまう。そんなおり、朱雀家の只一人の跡取りである経広が激戦地に招集されることになった。息子が激戦地に招集されることは、朱雀家の滅亡を意味する。しかし侯爵であり、権力に近い場所にいる父はそれを敢えて阻止しようとしない。彼は何もせず、ただ滅びる運命を引き受ける。経広は戦死し、経広の生みの親であり経隆の内縁の妻であった朱雀家の女中、おれいも空襲で死ぬ。
最後の場面で経広の「妻」である璃津子に経隆はその無為を激しく責められる。
璃津子 滅びなさい。滅びなさい! 今すぐこの場で滅びておしまいなさい。
経隆 (ゆっくり顔をあげ、璃津子を注視する。─ 間。)どうして私が滅びることができる。夙(と)うのむかしに滅んでいる私が。
修辞的で重厚な三島の台詞は読み応えがあった。
三島の天皇観、天皇の戦争責任についての考えが、経隆に託されているように感じた。
戦況が絶望的な状況になっていくなか、天皇はただその状況を静かに引き受けるしかなかった。破滅を運命として受け入れようとする天皇のすがたに三島はいさぎよい美しさを感じたのではないか。
主君への忠義のために自分の分身である子供を犠牲として差し出すというのは、歌舞伎の『寺子屋』や『熊谷陣屋』などにあるが、『朱雀家の滅亡』もこのバリエーションであると言える。私は歌舞伎でもこの種の忠義ものは好きではない。悲痛な話ではあるが、違和感を覚える。『朱雀家の滅亡』はこうしたる設定もふくめ、割台詞を使ったり、リズミカルな言葉の積み重ねが心地よかったり、詩的な独白が入ったりなど、台詞の表現面でも歌舞伎を連想させるところがあった。華美重厚で、声に出して読むと充実感のある戯曲だが(三島の戯曲はみなそうだけれど)、その過剰な装飾性・技巧性ゆえに虚しさも感じるところも、歌舞伎を連想させる。
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4時間、緊張と集中の充実した時間でした。
何よりも、穏やかでポイントを押えたお二人の
進行がいっそう会を楽しいものにしていましたね。
私は役者をしたことがありませんが、毎日が
勝負の舞台で演じている職業が羨ましいですね。
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皆さん、たくさんのコメントをどうもありがとうございました!
さて、最後にもう一匹からのコメントです。
○臆病うさぎよみたんの感想
皆さん、こんばんは!『本読み会』のラブリーラビット、よみたんです。こないだの日曜日、三島由紀夫って人が書いた『朱雀家の滅亡』ってお話を読んだよ!前回のうぇすかーさんの時も面白かったけど、今回もすんごい良かったよ。
なんかね、事前に読んだ時も、いい戯曲!って思ってたんだけど、実際にたくさんの人と声出してワイワイ話しながら読んでたら、思ってたよりも、ずーーーーーーーっといい戯曲だったってことに気づいたんだよ。
なんかね、もうね、すごい感動した。
ぼく、改めて考えたんだけどさ、これだけの作品はなかなか書けないよ。いやー、大したもんだよ、三島。すごいね!
ぼくね、三島さんって人のことはあまり知らなくてね、わ~!って割腹自殺した人って印象がとにかく強くてね、なんかちょっと怖い人だなって思ってたの。だって僕、絶対割腹自殺なんてできないもん。いくら「こうだ!!」って思ってることがあっても、その為に死ねないよ。臆病なんだよね、僕。うさぎだし。
だから、三島さんって人は、ちょっと分からない、怖い人だって思ってたんだ。だけど、今回読んでみてすごく思ったのは、この人は、戦争で死んでいった人たちのことを本当に考えてたんだなってことだったの。
亡くなったたくさんの方々のことを一生懸命考えて、こういう恨みがあったんじゃないか、こういう希望を抱いていたんじゃないか、自分たちはこうするべきか、それともこうするべきなのかって、普通だったら頭がおかしくなっちゃうくらい考え続けた人なんじゃないかって感じた。
過去のことをどんどん忘れていく時代の流れの中で、彼は考え続けて、考え続けて、いろんな価値観、考え方があるのをちゃんと分かった上で、自分の行動を決めたのかもしれないと思った。
ぼくは、やっぱり割腹自殺なんてできないけれど、三島さんのことは、少し身近に感じるようになったよ。
あ、”げんだいせい”について書くの忘れてた!
でも、1945年に終わった戦争のことを忘れないで、今を生きようっていうところは、絶対に”げんだいせい”と関係あると思う!
よみたん