3月も半ば。関東では梅の見頃もそろそろ終わりを迎え、桜が待ち遠しくなる陽気に恵まれる中、今回の『本読み会』は、極めて重苦しい戯曲にかかずらわうことになりました。若きアメリカ演劇を一躍世界レベルに押し上げた劇作家、ユージン・オニールの『すべて神の子には翼がある』。劇作家オニールとして、いよいよ脂がのった時期に書かれた戯曲です。
主人公は白人のエラと黒人のジム。戯曲は無垢な少年時代から始まり、9年後、5年後、2年後、半年後と、ふたりの関係の変化を刻むように描いていく17年間の歳月。人種の違いがときにふたりを結びつけ、ときにふたりを引き裂き、そしてふたりを狂わせ破滅へといざないます。
ふたりの間にたゆたう人種差別は、ふたりを取り巻く白人と黒人へとその輪を広げ、ひいては社会全体の問題を暗示するのですが、ここで終わらないところが三度もピューリッツア賞を獲得したオニールの真骨頂。
終盤、戯曲のテーマは人間同士の齟齬というレベルを遥かに越えて、人間と神の関係へと昇華していきます。
オニールいわく、「たいていの近代劇は人間と人間との関係にかかずらわっている。だが、私はそれにはまったく興味がない。私の関心は人間と神との関係にしかない。」
オニールの描く神様は、決して全知全能の存在ではありません。神は未完成な人間を作るものであり、未完成な人間が救いを求めて神を作ったのです。
エラ 神様はあたしを許してくださるかしら。
ジム たぶん、きみがぼくにしたことも、それにぼくがきみにしたことも許してくれるだろう。だけど神様は、どうやって許すんだろうね、自分自身を。
私たち日本人にとって、白人と黒人の問題はどうしてもつかみにくいものです。読んでいても「そういうもんなのかなあ」と首をかしげながら進む箇所もありましたが、おそらく、オニールが書きたかったのは人種差別の問題ではありません。
『すべて神の子には翼がある』が残した強烈なメッセージは、文字通り白黒つけられないところに真実は埋まっているということ。この戯曲は、その眠れる真実を洗いざらい掘り返そうという試みなのです。
と同時に、真実を暴き出すことが必ずしも人間の幸福にはつながらないということも、オニールは行間にしたためているように思います。
おそるべし、ユージン・オニール。
(松山)