気の早い話ですが、年内最後の『本読み会』です。
今年の『本読み会』を振り返ってみると・・・
お正月のチェーホフに始まり、サム・シェパード、ストリンドベリ、ワイルダー、そしてエウリピデス。今年も名立たる作家に敢然と立ち向かった『本読み会』です。
しかし、ふと気づくと日本人作家を一人も読んでいないではないか!これはいかん!こんな毛唐かぶれの団体になっては駄目だ!ということで、滑り込みで日本人作家の投入です。泣く子も黙る鬼才中の鬼才、唐十郎の登場です。
数ある戯曲の中から選んだのは『少女仮面』。1969年に岸田國士戯曲賞を受賞した唐十郎の代表作です。宝塚歌劇団のスター女優に憧れる少女が、「肉体」という奇妙な喫茶店を訪れることから始まる奇想天外な物語。あらすじをまとめようと試みましたが、奇想天外すぎて無理ですね。そもそも、この戯曲のストーリーを追うこと自体はさほど重要ではないのかもしれません。
この戯曲を紡いでいくのは物語の進行ではなく、イメージの連鎖だったのではないでしょうか。声に出して読んでみると、読めば読むほどなんだか混乱してくるのです。しかし耳をすまして聞いていると、次から次へとイメージが妖しい光を帯びて縦横無尽に広がっていくのが感じられます。時間も、場所も、人格も、何もかもが可変的で、ついていくのに精一杯。何を食べたか分からないけれど、店を出るときには「腹一杯食ったなあ」と満足する感じ。
唐十郎の戯曲は、きっと活字には収まりきらないのです。文学の文法ではなく、演劇の文法で書かれている。紅いテントの中で、俳優の肉体を通したときに「これか!」と溜飲が下がるのではないでしょうか。これは疾風のように演劇を駆け抜ける唐十郎ならではの感覚でしょう。
唐十郎の戯曲を読む者は、誰しも思うはず。いっぺん唐十郎の頭をかち割って覗いてみたい。どんな脳みそがこんな戯曲を書かせるんだ?
でも実際やろうとすると、逆に頭をかち割られてしまいそうですね。
(松山)