朝5時からセミが鳴き始める、夏の盛りです。子どもも毎日家におり、まったく仕事になりません!たわむれにテレビをつけると、パリ・オリンピックが盛り上がっています。選手や競技はよく知らないけど、パリの街並みに目を奪われることがしばしば。今回は夏の戯曲(?)ということで、ペーター・ハントケの『アランフエスの麗しき日々 夏のダイアローグ』を読みました。
ペーター・ハントケはオーストリアで生まれたドイツ語圏の作家です。戯曲だけでなく、詩、小説、翻訳、そして映画脚本も手掛ける彼は、2019年にノーベル文学賞を受賞しました。1966年に発表した『観客罵倒』はそのタイトルの通り、俳優が終始観客をなじり倒しながら演劇の本質を暴いていく問題作で、多くの観客にショックを与えました。その後発表した『カスパー』も対話や戯曲といった形式そのものを解体するような前衛作品で、日本でも1970年ごろから上演されています。
まあ、とにかく、いわゆる「対話!戯曲!」という感じの作品が少ない…。『本読み会』には向かないんじゃないかという話も出ましたが、かろうじて対話の形を取っている『アランフエスの麗しき日々 夏のダイアローグ』を読んでみようということになりました。「ダイアローグって書いてあるから、たぶん大丈夫だろう、面白いはず…」と、不安。この不安はあれですね、ハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン』を読んだ時のものに似ています。そういえばミュラーもドイツ語圏作家。
『アランフエスの麗しき日々』は、最初から最後まで男と女がひたすら対話をするだけの戯曲です。ここは戸外で、ときおり風が吹き、葉擦れの音が聞こえる。男と女はテーブルを挟んで座っている。そして夏である。設定はこれだけ。時代や国は示されていませんが、不条理劇のような趣ではありません。
ふたりは夏になるとここで対話をしているようです。そして、これが最後の夏になるかもしれないと示唆しています。しかし、それがなぜなのかはわかりません。また、ふたりの対話にはあらかじめ何らかの取り決めがあるようで、「決めてあった通り」や「…というのは取り決めに反する」などの言葉も出てきます。しかし、どんなルールが決めてあるのかは語られません。
話題は脈絡がないようでいて、つながっているようでもあります。初めての肉体関係のこと、アランフエスに行った時のこと、周りに見える風景のこと…何らかの結論に至ろうとしているわけではなさそうです。対話の後半では、木々のざわめきに代わって飛行機やヘリコプターの爆音、パトカーや救急車のサイレン音が鳴り響きます。
ドラマチックな出来事は起こらず、ひたすら男女の対話が続くだけなのですが、声に出して読んでみると実に様々なイメージが湧き起こってくる戯曲です。冒頭で語られた話題がその後の対話でたびたび現れたり、双方の心理的な踏み込み方が徐々に変化したり、まったく対話が断絶して独白のようになってしまったり…静かな中にも常に展開があって飽きることがありません。
この戯曲は「対話」という行為のあり方そのものを描いているのではないかと感じます。何かの結論に到達するためではなく、相手を論破するためでもない。対話とは、Aが話し、Bが聞き、Bが話し、Aが聞き、その間で何ごとかが共有される行為です。「何ごとか」とは、「イメージ」と言い換えてもいいでしょう。そしてこの行為は、戯曲を複数人で声に出して読む行為にとてもよく似ています。おそろしいほど似ている。
少し早く終わったので、ヴィム・ヴェンダース監督の同作品を少しだけ観てみました。映像ならではの表現と、演劇ならではの表現を比べて楽しむことのできる品のいい映画です。名優サラ・ベルナールの邸宅でロケをしたことでも有名。蒸し暑い日本の夏とはまったく異なる「夏」のお芝居ですが、人と人の関わりを極限までシンプルに描いた名作でした。(松山)