ゴールデンウイークに親戚の家でのんびりしていたところ、テレビから驚きのNHKニュースが。「俳優・劇作家の唐十郎さん死去 84歳」。私は思わず食べかけの寿司をこぼし、「ええっ」と声を上げてしまいました。
『本読み会』は明治大学文学部の中にある「演劇学専攻」というマニアックな場所で生まれた会ですが、実は唐さんがここの先輩なのです。卒業後は状況劇場や唐組を立ち上げて社会現象を巻き起こしながらも、1997年から横浜国立大学で教鞭を執られたことは大きく報じられました。私は「先生やるなら明治でやってくんないかな…」とひそかに思っておりましたが、2012年からは明治大学文学部でも「演出論」を担当されていました。唐十郎の授業を受けられるなんて、なんと羨ましい…。明治大学の演劇学専攻には、どこか唐十郎の影が落ちているのです。
『泥人魚』の初演は、2003年にさかのぼります。作品の主なモチーフは、長崎県の諫早湾干拓事業です。有明海の漁業者たちは、干拓事業で建てられた堤防が不漁の原因であるとして、2002年に佐賀地方裁判所に提訴を行い、その模様は大きく報道されました。非常にタイムリーな作品であった『泥人魚』は、第55回読売文学賞(戯曲・シナリオ賞)、第7回鶴屋南北戯曲賞、第38回紀伊国屋演劇賞、そして第11回読売演劇大賞など、演劇界の賞を総なめにしたことでも知られています。その後、2021年にシアターコクーンで再演されたのち、この度の訃報が5月4日。唐組による『泥人魚』の再演は翌日5日から新宿花園神社で始まりました。
かつて諫早湾で漁師として働き、今はまだら呆けの詩人が営むブリキ屋で働く螢一は、探し続けていた親友二郎と再会を果たす。そこに現れる一人の女。彼女は、螢一と、彼が持っているはずの“義眼”を探していた―。干拓事業で大きく姿を変えた諫早の海と人々の生活。失われた過去と人々の想いとは。
…というあらすじなのですが、この戯曲は社会問題に鋭く切り込むアンチテーゼの物語には見えません。物語の筋を追って楽しむというよりは、読者がイメージの飛躍や混乱に巻き込まれてみる、といいますか。「読んでいても、いまどうなっているのかわからない」という濁流に流されてしまうような感覚です。諫早湾の干拓、長崎への原爆投下、人間魚雷、天草一揆…さらに痛烈で猥雑な詩やユーモアが幾重にも折り重なる不思議な戯曲。
台詞だけでなくト書きも独特です。「なぜだろう」「と見てしまいます」「ギクリ…」など、もしかすると作家自身もこの作品の中にどっぷり飲み込まれているんじゃないかと思うほど。唐十郎によって書かれた作品に唐十郎がいて、唐十郎そのものがジャンルとなり、世界となって出演者や観客を飲み込んでしまうのでしょうか。
そんな混乱をまねく作品なものですから、今回は読んだあとで参加者一同「うーん…」と唸ってしまう時間が長かった。読んでいる最中は頭の中でさまざまな体験をしているのですが、それをどう言葉にしたものか?というより、まるで言葉に置き換えられることを拒んでいるかのような戯曲なのです。
今後、唐組をはじめ、唐十郎の意志を継ぐ者たちがどんな舞台を作り上げていくのか?さらに、今から20年後、唐十郎の存在を知らない人々が戯曲をたよりに上演するとどういうことになるのか?最後に、少しだけこれから先のことに想いを馳せるような会となりました。
今は、偉大な大学の先輩に、ご冥福をお祈りいたします。
(松山)