前代未聞・空前絶後のオンラインイベント『戯曲を読む会 Onlineフェスティバル2020』が熱を帯びる中、東京の老舗戯曲読書会『本読み会』も勇んで参戦してまいりました。コロナ禍おさまらぬ昨今、どうしても声に出して読みたい戯曲ファンたちが同時多発的に読書会を勃発させるに至っています。全国から、そして海外からも参加者が戯曲を手に駆け付けてくれました。
戯曲はウージェーヌ・イヨネスコの『禿の女歌手』。とは言いつつも、禿げた女の歌手は一度も登場しません。役者が稽古中に台詞を言い間違えたのを、イヨネスコが「それだ!」とタイトルに採用したという、誕生からして不条理にまみれた戯曲です。ベケットの『ゴドーを待ちながら』などと並ぶ不条理戯曲の代表作で、これがイヨネスコの処女戯曲。前回『本読み会』ではハロルド・ピンターの処女戯曲『部屋』を読みましたが、大作家の処女戯曲には、のちの大作へ連なる道標が言葉の深いところに潜んでいるようです。
1912年、イヨネスコはルーマニアのスラティナに生まれましたが、幼くして療養のためにフランスへ移ります。しかし時は第一次大戦の真っ只中。あわただしく祖国ルーマニアにもどるや、大学へ通いながら中学校でフランス語を教えつつ詩作などに取り組みます。第二次世界大戦下では創作活動から離れますが、1949年に英語の勉強を始めたことをきっかけに劇作の世界へ足を踏み入れることになりました。
イヨネスコの劇作には、語学習得との関わりが強くみられます。異質な言語を学ぶということは、すなわち異なる思想を自らの中に取り込むこと。語学学習では、「彼女は私の姉です」だの、「机の上にリンゴがあります」だの、それまで当然として疑わなかったことまでわざわざ言語にして取り扱う必要が出てきます。未知を既知にするときに起こる歪みのようなものを、イヨネスコは英語の入門書に出てくる「スミス氏」や「スミス夫人」らの対話を出発点に書き進めました。
本読みをしながらも、「たまらなく笑える、でも怖い」との感想が多く寄せられたのはまさにそこのところだったのでしょうか。当たり前だと思っていることが足元から崩れていく時、人は笑いをもよおしたり、恐怖に駆られたりするものです。大げさに言えば、自分が自分でなくなってしまう感覚。人間は、自分が別のものになってしまうのが一番怖いのかもしれません。
『禿の女歌手』では、時間の経過が揺さぶられ、在・不在の問題が不確かになり、最後には言語と意味が引き裂かれて、完全につながりを失ってしまいます。解体された世界を目の前にたじろぐ姿は、現代でも初演時でも同じ。初演の幕が降りた後、観客たちが口にしたのは「けど結局、どうして『禿の女歌手』なんだ?歌手なんて一度も出てこなかったじゃないか」(イヨネスコ戯曲全集1より)だったそうですよ。
しかし、わけのわからない戯曲ほど、読後のトークは弾むもの。常連の方も新規の方も、みな一様に首をかしげながらイヨネスコの世界にどっぷり浸る夜となりました。ご参加くださった方、サポートいただいた方、どうもありがとうございました。
(松山)
『戯曲を読む会Onlineフェスティバル2020』公式ページに、フェスティバル全体の開催レポートがアップされています。そちらも是非ご覧ください!
『戯曲を読む会Onlineフェスティバル2020』開催レポート