今年最後の『本読み会』は、ハロルド・ピンターの『バースデイ・パーティ』。
「バースデイ」と言いつつ、この大劇作家が亡くなったのは、ちょうどこれくらいの時分でした。2008年のクリスマス・イブの日、私はスイスのサン・モリッツにある宿に泊っていましたが、そんな山中にまでピンター死去のニュースが駆け巡ってきたのを思い出します。みんながお祝いするクリスマス・イブに死ぬというのが、いかにもひねくれ者のピンターらしい。
素人宿に泊まり込んでいるスタンリーという男は、どうやら過去にある組織を脱退したらしい。その組織から送り込まれてくる二人の男は、今夜スタンリーのバースデイ・パーティを催そうと持ちかけ、スタンリーは彼らに自らの人格を破壊されてしまう・・・
あらすじだけを追うとそこらへんに転がっているサスペンス劇みたいですが、やたらとリアルな設定と台詞が少しずつズレて、不気味に軋む音を劇中へ響かせていくのがピンターの真骨頂。スタンリーが属していた組織の正体は最後まで判然としません。しかし、それが判明したところで何の解決にもならず、彼を狙う男達によって侵食された人格と日常は二度と元に戻らないことを観客は知るのです。
ピンターはよく不条理劇作家とされますが、この「不条理」は、彼の書く戯曲が不条理かどうかを問題にしているのではなく、彼がこの世界を不条理なものと捉えて戯曲を書いているか否か、その点において不条理劇作家なのではないでしょうか。
終幕直前、劇中で唯一バースデイ・パーティに参加しなかったピーティは、組織によって破壊された人と家を前に、くじけつつもこう叫びます。
ピーティ スタン、いけない、やつらの言いなりになっちゃ!
ピンターは後に、この台詞を「自分がこれまでに書いた最も重要な台詞のひとつ」と語り、生涯この台詞の通りに生きて来たと語っています。
もし、現在私たちが生きるこの世界も不条理であるならば、彼の戯曲は変わらず刃をギラつかせ続けることでしょう。いつの間にか、何処かの、誰かの思い通りにならないように、ピンターは言葉によって世界を映し続けます。
本年も『本読み会』をご愛好下さりありがとうございました。来年も一ページずつ戯曲をめくってまいります。どうぞよろしくお願いいたします。
(松山)
※参加者の感想等まとめたイベントレポートも近日中に公開致します!お楽しみに!
最初はどうという話では無いかもと思ってましたが、組織が出て来てからは引き込まれました。日常と非日常の差は曖昧なのかも知れないと痛感しました。
話は変わりますが、木下順二の「白い夜の宴」読みました。三島とまた違う戦後を描いていて面白くないかもしれないですが読み応えはありました。
三好十郎は「その人を知らず」いかがでしょうか?
先日はご参加ありがとうございました。
「白い夜の宴」、読んだことないですね。木下順二は以前『本読み会』で「オットーと呼ばれる日本人」を読みました。やはり戦後の戯曲は面白いですね。
三好十郎は良い戯曲が多いので、いろいろ悩みたいと思います笑。お楽しみに。。
マッキャンの立ち位置がわからないという疑問に対してですが、私は授業で、ゴールドバーグがゴッドつまり神であるイエスを指し、マッキャンはミカエルを示しているという説を聞きました。これは、英語の綴りからも納得ができます。そう考えるなら、大天使ミカエルとしてのマッキャンは、イエスを表すゴールドバーグに仕える部下で、忠実に仕事を遂行する人物であると言えるのではないでしょうか。
コメントありがとうございます。
そのような説があるのですね。確かに二人のやりとりには、どこか日常を超越したものを感じますね。いろいろな読み方を許容する懐の広さも、ピンター戯曲の魅力のように思います。