1956年5月8日は、イギリス演劇にとって最も重要な1日です。
ロイヤル・コート劇場でジョン・オズボーンの『怒りをこめてふり返れ』が上演されたこの日は、イギリス演劇史上初めて労働者階級の人間が劇中の主役に躍り出た瞬間だったのです。オズボーンを皮切りに、いわゆる戦前、戦中までの「エスタブリッシュ」なイギリスへ反旗を翻そうと、「怒れる若者」たちが堰を切ったように劇場へ流入し、それが社会へ波及するまでにそう時間はかかりませんでした。
アーノルド・ウェスカーもその一人。
ロンドンのイースト・エンドで生まれ育った彼は、まさに労働者階級の息子として職を転々としながら、演劇への情熱を消すことなく筆を執り続けました。
『調理場』、『大麦入りのチキンスープ』、『根っこ』そして『僕はエルサレムのことを話しているのだ』で一躍時代を背負う劇作家となり、自らも労働運動を指揮した理想家です。
『僕はエルサレムのことを話しているのだ』の中で、くり返し語られる「エルサレム」。これは社会主義者の理想郷なのか、決して手の届かない絵空事なのか。金銭とエネルギーが支配する資本主義からどうにか距離を置こうとしても、見えざる大きな力に打ち負かされて、いつのまにか絡め取られてしまう・・・。
これは半世紀も前に書かれた戯曲です。しかし、私たちを取り巻く状況は驚くほど変わっておらず、資本家と労働者の関係は更に悪化しているかもしれません。劇中で理想を語るデイヴのような人間を、いつのまにか見かけなくなってしまいました。
ウェスカーは芸術の役割についてこう語ります。
「芸術はわれわれが生きている世界をわれわれに見させ、自分自身や自分の生き方について問いを発することを教えるのです。芸術は、われわれを混乱させおどかし、われわれを制限しているあのいまわしい壁全体をぶちこわすための手段であると私は信じます。そしてそれらの壁が倒れる時、われわれは真の人間になれるのです。」
今回から『本読み会』で始まった「読んで楽しい現代戯曲」シリーズ。ウェスカーの「現代性」は、この言葉に強く現れているように思います。
(松山)
※『読んで楽しい!現代戯曲』特設ページにイベントレポートもアップしています!こちらもご覧ください!
アーノルド・ウェスカー『ぼくはエルサレムのことを話しているのだ』イベントレポート
