狂気か?天才か?ゴールデンウィークの口火を切る『本読み会・ストリンドベリ』の巻です。
『本読み会』で読む戯曲を選ぶときは、「とてもいい戯曲だからぜひこの魅力をみなさんにお伝えしたい!」という回もあれば、「選んだもののどこらへんがいいのかイマイチ分からないから、とりあえず読んでみればなんか出てくるんじゃないか?」という回もあります。今回選んだストリンドベリの『幽霊ソナタ』は、どちらかというと後者。スウェーデンが生んだこの奇才の正体は一体何なのか?何がストリンドベリにこの戯曲を書かせたのか?残された戯曲を通して、謎多き作者に想いを馳せる会となりました。奇しくも隣国のノルウェーに生まれたイプセンと同様、ストリンドベリは生涯を通じてその作風を大きく変化させ続けた作家でした。どちらかというと小説家として作家のキャリアをスタートさせたストリンドベリでしたが、史劇、童話劇、ロマン史劇などを経て、自然主義的戯曲の代表作『父』や『令嬢ジュリー』を発表します。しかし、そこからは逆に象徴主義的、いや、もっといえば神秘主義的な作風にうって変わり、今回読んだ『幽霊ソナタ』や『夢の劇』などはかなりこの傾向が色濃く出ています。最初の2~3ページを読んだだけで、「なんかおかしい、この戯曲」とピンとくるはず。
それは、ストリンドベリが意識的に作風を変えているというよりは、彼の精神状態がそのまま作風の変化に現れているといった方がよさそうです。生涯を通じて、彼は精神疾患に悩まされ続けた作家でした。自分の内部にある何事かに形を与えて外へ作品を生み出すのではなく、流れ出た作品は彼そのものだったのです。だから登場人物にはどれもストリンドベリ自身の姿が明らかに反映されていて、まるで分裂した彼の魂が数々の人に憑依して劇中をさまよっているよう。一見つじつまの合わない筋書きや時間経過も、彼の中では「世界がそのように見えていた」ということなのでしょう。そして、それはあくまで彼の中だけに通底する秩序だったのかもしれません。
自他ともに認める気難し屋のストリンドベリ。『幽霊ソナタ』執筆中には、たった40日の間に6人の召使いが逃げ出し、完成2日前には料理番までいなくなって、仕方なく自分で料理をしなければなりませんでした。狂気と天才は紙一重。おそらく、彼は狂気と天才の間を行き来して、狂気から生まれた作品も天才から生まれた作品も残した作家です。どちに見えるかは、読む私たちの精神状態にも左右されるのかもしれません。とても一緒に暮らすのは無理そうな人物ですが、しぶしぶ自分で料理を作りながら『幽霊ソナタ』を描いているのは、傍から見るとどこか間抜けな姿ではありませんか。
みなさん、ゴールデンウィークはお出かけもいいけど、家の中で戯曲をぶつぶつ読んでいるのもまたオツなもんですよ。よい連休を。
(松山)