うちの場合は夫婦喧嘩でよくあるんですけど、けんかをしてるときって「自分は絶対に悪くない!」って思いませんか?「悪いのは絶対に相手だ!」って。思うんですけどそういう時って、大体相手も同じように考えてるんじゃないでしょうか?
例えば、先日私は妻から、こたつの電気をつけっぱなしにして家を出たことを咎められたんですが、(このこと自体は明らかに私に非がありますけど・・・)反省しているところにしばらくお説教が続いたりすると、だんだん「謝ってるんだからそんなに言わなくてもいいじゃないか!」とか「ミスを犯さない人間なんていないんだ!」とか、いろんな理屈をひねり出してイライラしてきたりするんです。
そこでグッと堪えればいいものを、未熟者の私はそれを口に出してしまったりして、当然「じゃあ何?私が悪いって言うの?」みたいな感じになって、どんどん仲直りが難しくなる。つまりけんかしてる両方が「私は悪くない」って思っている状態になってるわけです。よくありませんか?そういうこと。
なんでこんな話をしたかと言いますと、今回の「建築家とアッシリアの皇帝」の上演にあたり私達が一つの大きなテーマとしている「自己愛」って、もしかしたらこういうことなんじゃないかと思うんです。
私は悪くない。これが「自己愛」なんじゃないかと。
人間誰しも、人から責められたり、馬鹿にされたり、無視されたりすることは嫌なものですが、それはつまり他者の中にある自己像が傷付くということであり、それはとてつもない苦痛であり・・・
まどろっこしい言い方はやめましょう。そういう時、本当はみんなこう言いたいんじゃないかと思うんです。
「私は愛されるだけの価値がある!私を愛して!」
先ほどのこたつの例では間が抜けてしまうかも知れませんが、やはり私も心のどこかで「私は愛されるだけの価値がある!私を愛して!」と叫んでいるのですし、妻も私に非難されれば、やはり心のどこかで「私は愛されるだけの価値がある!私を愛して!」と叫ぶでしょう。会社の上司に叱られた男が家族に当り散らしたり、恋人の浮気に悩む女が友達に自慢話を繰り返したり・・・みんな自己愛を叫んでいるように思えてきませんか?
繰り返しになりますが、今回の「建築家とアッシリアの皇帝」の上演にあたり、私達は一つの大きなテーマとして「自己愛」に焦点を当てています。
他人から評価されたい、愛されたいという誰しもが持っている欲望と、それが満たされないときの怒り、こういうものが舞台上に現れればきっと面白い芝居になるのではないかと考えたのです。
稽古場ではこのところ通し稽古が繰り返され、稽古場にいる全ての人間の自己愛が絡み合いながら、ハレンチでくだらない物語が面白おかしく姿を見せ始めました。
我々はこれから小屋入りまでの1週間で、何とかそれを美しく恐ろしい「自己愛」と「愛」の物語に仕上げ、観客の自己愛を逆撫でしようと目論んでいます。
「建築家とアッシリアの皇帝」を是非ご覧いただければと思います。
自己愛についてはまだまだお話したいことがあるのですが、それはまた次の機会にしようと思います。それでは、また。
例えば、先日私は妻から、こたつの電気をつけっぱなしにして家を出たことを咎められたんですが、(このこと自体は明らかに私に非がありますけど・・・)反省しているところにしばらくお説教が続いたりすると、だんだん「謝ってるんだからそんなに言わなくてもいいじゃないか!」とか「ミスを犯さない人間なんていないんだ!」とか、いろんな理屈をひねり出してイライラしてきたりするんです。
そこでグッと堪えればいいものを、未熟者の私はそれを口に出してしまったりして、当然「じゃあ何?私が悪いって言うの?」みたいな感じになって、どんどん仲直りが難しくなる。つまりけんかしてる両方が「私は悪くない」って思っている状態になってるわけです。よくありませんか?そういうこと。
なんでこんな話をしたかと言いますと、今回の「建築家とアッシリアの皇帝」の上演にあたり私達が一つの大きなテーマとしている「自己愛」って、もしかしたらこういうことなんじゃないかと思うんです。
私は悪くない。これが「自己愛」なんじゃないかと。
人間誰しも、人から責められたり、馬鹿にされたり、無視されたりすることは嫌なものですが、それはつまり他者の中にある自己像が傷付くということであり、それはとてつもない苦痛であり・・・
まどろっこしい言い方はやめましょう。そういう時、本当はみんなこう言いたいんじゃないかと思うんです。
「私は愛されるだけの価値がある!私を愛して!」
先ほどのこたつの例では間が抜けてしまうかも知れませんが、やはり私も心のどこかで「私は愛されるだけの価値がある!私を愛して!」と叫んでいるのですし、妻も私に非難されれば、やはり心のどこかで「私は愛されるだけの価値がある!私を愛して!」と叫ぶでしょう。会社の上司に叱られた男が家族に当り散らしたり、恋人の浮気に悩む女が友達に自慢話を繰り返したり・・・みんな自己愛を叫んでいるように思えてきませんか?
繰り返しになりますが、今回の「建築家とアッシリアの皇帝」の上演にあたり、私達は一つの大きなテーマとして「自己愛」に焦点を当てています。
他人から評価されたい、愛されたいという誰しもが持っている欲望と、それが満たされないときの怒り、こういうものが舞台上に現れればきっと面白い芝居になるのではないかと考えたのです。
稽古場ではこのところ通し稽古が繰り返され、稽古場にいる全ての人間の自己愛が絡み合いながら、ハレンチでくだらない物語が面白おかしく姿を見せ始めました。
我々はこれから小屋入りまでの1週間で、何とかそれを美しく恐ろしい「自己愛」と「愛」の物語に仕上げ、観客の自己愛を逆撫でしようと目論んでいます。
「建築家とアッシリアの皇帝」を是非ご覧いただければと思います。
自己愛についてはまだまだお話したいことがあるのですが、それはまた次の機会にしようと思います。それでは、また。