「私のかわいそうなマラート」。この作品を二〇一〇年に上演しました。理由は、せりふが多いから。この頃、せりふに、会話に飢えていました。登場人物は三人。場所はレニングラード(現サンクトペテルブルク)のアパートの一室。上演時間は約二時間半。この作品には「三部の対話劇」という副題がつけられています。
作者はアレクセイ・アルブーゾフ、一九六五年の作品。戯曲の第一部は、第二次世界大戦(祖国解放戦争)中の一九四二年、ドイツ軍に包囲され、死と隣り合わせの街レニングラードのアパートの一室で三人の若者、マラート、リカ、レオニージクが出会います。第二部は、終戦翌年の一九四六年。戦争を生き抜いた三人がアパートで再会します。第三部はスターリンが去った後の一九五九年。人生の行く末が見えかける年齢にさしかかった三人。それぞれが追い求める夢と挫折、リカを巡るマラートとレオニージクの葛藤と友情。出たり入ったりがありながら、最後に身を退くことを決意したレオニージクが大晦日の夜にアパートから出ていった後、突然恐怖に戦くマラートに、「幸せになるのを怖がらないで…怖がることなんかないのよ、私のかわいそうなマラート…」とリカがそっとささやき幕となります。
ドイツ軍によるレニングラード包囲九〇〇日という事実を、恥ずかしながらこの作品で初めて知りました。食糧、物資の補給路を断つ九〇〇日に及ぶ封鎖に加えて冬は大寒波が追い打ちをかけ、六〇万人以上が餓死、合計一〇〇万人以上がレニングラード一都市で犠牲になりました。第二次大戦によるドイツの死者は六〇〇万人、日本は三〇〇万人と言われています。(因みにソ連は二〇〇〇万人。)地球の裏側で起きていた惨状、そしてそれを知らなかった自分に愕然としました。私は井上ひさしの「父と暮せば」を一人語りで上演しましたが、原爆のありさまと同じく、いつまでも覚えていなければいけない事実。
その後リーディングで再演もしましたが、今、もう一度上演したいという思いがつのっています。二度の上演では事実の大きさに圧倒されて、歴史の背景を伝えることにやっきになっていました。背負いきれない背景を背負いながらも、狭いアパートで身を寄せ合い対話を重ねることで生き続ける力と勇気を絞り出した三人を見据えて上演したとき、改めて、戦争が惹きおこす事実の重さがあぶり出されてくるように思うのです。私にとって、「私のかわいそうなマラート」は「父と暮せば」と併せて一九四五年以降に書かれた中で、記憶にとどめたい戯曲です。
(桝谷裕)
私のかわいそうなマラート (1966年) (てすぴす叢書〈58〉)
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寄稿者紹介
桝谷 裕
文学座附属演劇研究所卒業 スターダス・21所属舞台、映像、吹替で活動。“per il mondo”公演と称して、舞台を自主企画。
<今年の主な出演作品>
「父と暮せば」(作/井上ひさし)一人語り、「寝られます」(作/別役実 演出/坂田俊二)別役実フェスティバル参加作品、「太平洋食堂」(作/嶽本あゆ美 演出/藤井ごう)、「岸田國士を読む。夏」『女人渇仰』『風俗時評』(作/岸田國士 演出/青柳敦子) 昨年の出演作品に「ダム」(作/嶽本あゆ美、演出/藤井ごう)がある。
<今後の予定>
10月7日~12日「ロボット」(作カレルチャペック 演出中野志朗)ARTTHEATEかもめ座(阿佐ヶ谷)演劇ユニット・ハイブリッド公演
桝谷ブログ http://yutakamasutani.blog13.fc2.com/
演劇ユニットハイブリッドHP http://www.engeki-unit-hybrid.com/
11月か12月頃「父と暮せば」(作井上ひさし)一人語り(日程・会場検討中)
※詳細決定次第、桝谷裕のブログに掲載予定
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