みなさま、明けましておめでとうございます!
今年もどうぞよろしくお願い致します。
さて、新年最初の更新は、昨年末に現代戯曲イベントの第四弾として開催した、第57回『本読み会・ピンター』のイベントレポートです。
ピンターは、以前も一度『本読み会』で読んでいます。その時は『帰郷』を読みましたが、今回は初期の傑作『バースディ・パーティー』を読みました。
当日は和気藹々と楽しんで読むことができました。「これってどういうこと?」「何が本当なの?」と戯曲に翻弄されるような楽しさもあったし、そうした戯曲のあり方に注目する楽しさもあったように思います。
ちなみに以下は、開催レポートです。
第57回『本読み会・ピンター』開催レポートはこちら!
このページでは、当日参加できなかった方にも会の雰囲気を味わっていただけるよう、参加者からの感想などをまとめて掲載しています。ページ下部からコメント投稿もできますので、さらにコメント等いただけたら嬉しいです。
◯参加者からの感想
参加者からいただいた感想を、一部抜粋してご紹介いたします。※※※※※
ハロルド・ピンター「バースデイ・パーティ」。ピンターはなんとなく難しそう、というより、簡単に分からせたりしないぞ、という作者の意図がありそうで今まで手が伸びなかったけど、大勢で読み進めると思ったよりリアルな会話や情景が浮かび、言葉の持つ意味とは関係なく、人間が動かされる様に驚く。
そして、具体的な情報がないからこそ人は多様な想像をするものだし、それは時代を超えて上演される作品となり得るんだなあ。それと、登場人物たちの年齢設定が面白い。若い頃の作品だと思うんだけど、その点でもとても興味がわいたので、他も読んでみようと思う。上演される機会があったらぜひ観たい。
そして、忘本会もとても楽しかったです。
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事前に読んだ時も思ったけど、本読み会でみんなで読んでもなんともわかりづらくモヤモヤが残る作品。なんでもきっちりとしておきたい自分にとってはやはり消化不良。
ただ、最後に出てくる夫の台詞が、自分で読んでいた時は唐突に感じたが、みんなで読んだ時には何故だかストンと自分の中に収まったのが不思議。
大きな圧力に対して、外野から「それは間違っているのではないか?」と疑問を投げかけ、力に流されようとしている人には「よく考えて。流されてはいけない」と声をかける。(しかし、戯曲内では物理的にも心理的にも相手に届いていない)
初演は興行不信で6日で打ち切られたというのも無理はないかなと思った。
「管理人」は評判が良かったらしいので読んでみたくなったかな。
台詞やト書きで明らかにならないのが、モヤモヤするけど想像を掻き立てられるあたりが、リアルだなあと感じた。
あとゴールドさんの台詞で、彼の生き方なんだなあと思った部分が。
なんでも丸暗記するとかなんとか、ゴールドさんはきっと役に立ちそうな事を全て丸暗記して、事あるごとに披露して生きてきたのかなって思った。
登場人物はわりと記号化(キャラクター化?)されてるように思ったけど、マキャンの立ち位置がいまいち掴みきれなかったのが残念。
忘本会も結局本を忘れてなくて楽しかった!笑
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ハロルド・ピンター「バースデイ・パーティ」
子どもの時にはお友達を呼んで「お誕生会」を開く、なんてなかった。両親にすら誕生日を祝ってもらわなかった年もあった。僕も両親も誕生日は何かしら気恥ずかしかったのだ。
そんなこんなでどことなく異文化な「バースデイパーティ」。連泊客のスタンリーの誕生会を開くべきですぞと、今日泊まりに来たゴールドバーグが宿のおかみのメグに進めるところからもう、頭をかしげる。なんですか、そのフレンドリーさは。
そのスタンリーときたら、メグにおんぶにだっこの甘え放題。なんですか、その親しき仲にも礼儀のなさは。
メグは二人のさらに上を行っていて、二人の言動すべてを受け入れているのだ。
けっきょくバースデイパーティはスタンリーを貶めるためのゴールドバーグの手による茶番劇だった。そこが面白さの絶頂なのだが、悲しさ切なさの絶頂でもある。パーティってそもそも主人公を肴にして他人が楽しむものだよね。他人としては楽しいけど当事者としては切ない。
ってゴールドバーグやスタンリー目線で思ってしまう僕だが、ビーティはいじめはやめろって怒ってるんですね。うん、パーティの主役いじめという位相から、人格破壊へと、劇は進んでいる様相も呈しているからビーティのお怒りもごもっともだが、いまいちその怒りについていけない面もありました。
メグだけは、終始一貫してパーティを楽しみ、主役を心から祝福している。なんと揺るぎのないピュアさ。僕のお誕生会にメグがいてほしかった。
そんなメグがいるからこそ、主役いじめや人格破壊や怒りやの陰影が深まっていくのだった。
観劇体験のほとんどない僕ですが、この戯曲、本読み会で経験できてよかったです。想像がたくましくなっちゃったので、観劇しちゃうと失望しちゃいそう。
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コメントどうもありがとうございました!
さて、最後にもう一匹からコメントが届いております。
◯よみたんの感想
こないだ、ぴんたー先生の『バースディ・パーティー』をみんなで読んだよ!ぼく、実はぴんたー先生の本が前から好きなんだ。
人間はさ、よくぴんたー先生の本を「よくわかんないな」「どういうこと?」って言って読んでるけど、ウサギの僕から言わせると、ぴんたー先生はよく人間のことが分かってるな!!って思うよ。
人間ってみんな、いつもああやって暮らしてるよね。そうじゃない?
それでさ、今回みんなと読んでて、すごくいいね!って思ったところがあったんだ。他の人も感想で書いてたけど、ピーティっていうおじさんのセリフで、
スタン、いけない、やつらの言いなりになっちゃ!
っていうところ。そこにとっても感動したの。
人間ってさ、自分の周りが大きく変わっていってても、その変化がゆっくりだったり、「変わってないですよ」「平気ですよ」「安心してください」って言われたりすると、なかなかその変化に気付かなかったりするじゃん。
っていうか、変わっていってることにホントはうすうす気づいてても、何かちょっと怖かったりすると、何も言えないことってあると思うんだよね。
ウサギの僕でさえ、「安心してください」って言われると、パンツしか履いてない人間に心を許しちゃうことがあるから、その気持ちはよく分かる!
まあ冗談はさておきね、この『バースディ・パーティー』っていう作品も、そういう変化を描いた作品だと思うんだ。しかも、ぴんたー先生が描いてるのは、とっても怖い状況だと思う。なんか、人間性が奪われるような恐ろしいことが起こってるんだけど、誰も何も言えないまま流されていく・・・。そういう状況を描いてると思うんだ。
だけど、ピーティだけはこの変化に対して、「いけない!」って声を出した。流れに身を任せた方が絶対楽なのに、彼はそうしなかった。それはやっぱり、とても勇気がいることだと思う。だから僕は、ピーティはすごく偉い人だなって思った。
実は、ぴんたー先生はこのセリフについて「私はいつもこのセリフの通りに生きてきた」って言ってたらしい。ホントすごいな。臆病なウサギのぼくは、なかなかそういう風には生きられないなぁ。。
あとぼくね、このセリフを読んでた時、ちょっと前に読んだ、あーのるど・うぇすかーさんのことを思い出したんだ。『大麦入りのチキンスープ』っていう本の中で、こういうシーンがあった。
サラ (彼の背後から叫ぶ)死ぬだけよ、あんた死ぬだけよ――なんとかしようとしなければ、あんたは死ぬだけよ。
(ロニイはドアの所で立ち止まる)
ロニイ、なんとかしようとしなければ、あんたは死ぬだけよ。
(彼はゆっくりと母親を振り向く。)
あと、前回読んだイヨネスコおじさんのことも思い出した。『犀』の中にこういうセリフがあったよね。
デイジィ みんな慣れてしまっているのね。もうだれも、歩道を歩き回る犀の群れに驚きゃしないわ。人間の方から、犀が通ると道をあけてやって、それから自分たちの散歩を続けたり、仕事にかかったり。まるでなにもなかったみたいに。
どっちも、ついつい周りに流されていっちゃう人間に、「おい、君たち、気をつけろー!!!」って言ってるセリフだと思ったよ。
もしかしたら、この時代の作家さんたちって、みんなこういうところに、「あぶないなぁ・・・」って感じてたのかもしれない。もしかしてこれが「現代性」なのかしら。危険な時代なのかな、現代って・・・。
まあ、そういうことはみんな『忘本会』でお酒飲んで忘れてしまったんだけど、ぴんたー先生の『本読み会』は、とっても楽しかった!
そんな感じの年末でした!
あ、そういえば、あけましておめでとうございます!
今年もどうぞよろしくお願いします!
あー、早くウサギ年来ないかなー。
よみたん