新型コロナウイルスの猛威を受けて開催の危ぶまれた『本読み会』ですが、万全の対策を講じて実施にこぎ着けました。このウイルス、ともかく空気のよどんだ密室で長時間顔を突き合わせていると感染しやすいとのこと。窓を開けて、空気を入れ換えて、できるだけ同じ場所に同じ相手と長時間いることのないように・・・しかし、この作家の描く戯曲は、その全く逆をいく極上の超濃厚接触ドラマです。ユージン・オニール『喪服の似合うエレクトラ』。3部作のうち、今回読んだのは第1部『帰郷』です。
『オリンピックイヤーだよ!ギリシャ劇集合』と銘を打った今年の企画。本家本元のギリシャ劇から始めて、後世の劇作家がギリシャ劇をモチーフに書いた戯曲を読破していこうと息巻いております。中でも、かなり初期から「これは、外せない」とラインナップに上がったのがこの『喪服の似合うエレクトラ』でした。
『喪服の似合うエレクトラ』はアイスキュロスの『オレステイア3部作』を19世紀後半のアメリカへと翻案した戯曲で、第1部『帰郷』はアイスキュロスの『アガメムノン』にあたる部分です。全3部作を上演すれば優に5時間を越す超大作ですが、1931年にニューヨークで初演されると瞬く間に150回公演のロングラン記録を叩き出しました。執筆期間に2年を要し、さらに3度改稿を重ねたオニールは「たいていの近代劇は人間と人間との関係にかかずらわっている。だが、私はそれにはまったく興味がない。私の関心は人間と神との関係にしかない」という興味深い言葉を残しています。
舞台はアメリカ、ニュー・イングランドの小さな港町。海運業で財をなしたマノン家の豪邸を囲んで、街の人々が噂話をするところから始まります。この手法がギリシャ劇でいう「コロス」(群衆の合唱隊)の手法を用いているところが心憎い。南北戦争に従軍しているマノン家の主人もそろそろ帰郷する時期ですが、銃後を守るはずの妻クリスティーンは、アダム・ブラントという色男とデキている。このことを厳しく追及する娘のラヴィニア。しかし、どうやらブラントはマノン家が抱える闇の部分、いわば「呪い」を体現する存在であることが明らかになります。このブラントをめぐって、母クリスティーンと娘ラヴィニアの壮絶な舌戦が繰り広げられる・・・。
と、ここまで書いておいてなんですが、実はコロナウィルスの影響で主宰松山の子供が通う幼稚園が臨時休園になってしまいました。マノン家でなく松山家のピンチを救うべく、子守りのために主宰の一人が早退するという非常事態を迎えてしまいました。どうなる、『本読み会』!
ここから先は大野レポートにバトンタッチします!(松山)
はーい、バトンタッチ!
ここからは、『本読み会』の頭脳であり良心である(と言われているに違いない)私、大野がレポートいたします!
実は今回の『本読み会』、普段とは少し違う読み方に挑戦しました。その方法とは、“なかト書きも読む”というもの。“なかト書き”とは、登場人物の台詞の中にカッコで括ってあるト書きのことなんですが、普段の『本読み会』では、セリフとセリフの間にあるト書きは読んでも、“なかト書き”は読まずに進めているんです。これはセリフのテンポを殺さないため。ですが、今回の『喪服の似合うエレクトラ』では、そんな工夫を捨てて、“なかト書き”も全て読んでみることにしました。
え?どうしてかって?まあこれを見てください。とにかくユージン・オニールは“なかト書き”が多いんです・・・!
ね、多いでしょ?これだけ多いと、“なかト書き”を読まずに進めたら、初見の方など戯曲が分からなくなってしまうかもしれません。不慣れなやり方ではありますが、まあとにかくやってみよう!と、全てのト書きを声に出しながら読み進めていきました。
すると面白いことに気付きます。ト書きの読み手を担当してみるとよく分かるのですが、オニールのなかト書きには、台詞の途中で役の人物の心境を導いていくような描写が多い。いや、そもそも“なかト書き”とはそのような性格のものなんでしょうが、その度合いが強いんです。少し例を挙げてみましょう。
“彼に接吻するーー激しく、念を押すように”
“それから、突然一つの考えが浮かんだかのように、奇妙な、不吉な、昂然とした様子で、遠ざかって行くブラントの姿に話しかける”
“嫌悪のあまりギクリとして、夫の手からしり込みして”
“目を開いて、不思議な恐怖に駆られて彼を見つめる”
“急に嫉妬の炎を見せて”
いかがです?上記は全て「クリスティーン」の台詞の中から抜き出した“なかト書き”ですが、読んでいると、まるでクリスティーン(もしくは彼女を演じる俳優)の手を引いてナビゲートしているようではないですか?参加者からは、「こんなにト書きがうるさくて、俳優は嫌にならないの?」なんて疑問も出てきていました。役の人物像を丁寧に、厳密に彫り出していくような描写には、小説のような趣も感じます。
しかし、一体ユージン・オニールは何故、このようなト書きを書いたのでしょう?それを考えるヒントになったのが、他でもない、原案であるアイスキュロス『アガメムノン』とこの作品との差異でした。
『喪服の似合うエレクトラ』の中には、原作にはないもの、オニールのオリジナルと感じられる部分がいくつかあります。それは例えば、妻との間にはこれまで何もなかったということに気付いてしまうエズラ(原作ではアガメムノン役にあたる)というキャラクターの造形であったり、どうしようもなくアダム(同じく、アイギストス)を求めてしまうラヴィニア(エレクトラ)の造形であったり、クリスティーン(クリュタイネストラ)の喪失体験が、近親相姦的な愛を向ける息子オリン(オレステスであり、イピゲネイアでもある)の出征に表されていることであったりするのですが、そのどれもが、“相反する二つの感情が同時にわき起こる”こと、つまりは“葛藤”を、キャラクターに与えるための仕掛けになっているのです。その複雑な“相反する感情”を読み手に正確に伝え、導いていくための仕掛けこそが、あの“なかト書き”だったのではないでしょうか。
『喪服の似合うエレクトラ』に登場する人物たちは、みな愛と憎悪(殺意)の間で葛藤を抱えています。もしかしたらこの葛藤こそが、オニールが描こうとした“人間と神との関係”なのかもしれません。息つく間もなく、まるでジェットコースターのように激しい葛藤を体験させてくれるユージン・オニールの戯曲。読み終わったあと、参加者は皆ぐったりしながらも、どこか上気したような様子がありました。もしやこれがカタルシス?やはりノーベル文学賞受賞は伊達じゃないと感心させられました。
以上、第85回ユージン・オニールのレポートは終了です。次回は4/4のアリストパネス。読むのはギリシャ“喜劇”の傑作『女の平和』です。皆さんのご参加、心よりお待ちしております!(大野)
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