第75回『本読み会・デュレンマット』レポート

 少し遅くなってしまいましたが、第75回『本読み会・デュレンマット』のレポートです。今回もたくさんの方にご参加いただき、楽しく開催することができました。どうもありがとうございました。追悼記念・第76回『本読み会/ニール・サイモン』と『忘本会!2018』のご案内もすでに始まっております。次回もどうぞよろしくお願いいたします。






第75回『本読み会・デュレンマット』レポート

 気づけば2018年もあとひと月。今年はとにかく地味な作家を地道に読んでいこうと意気込んだ『本読み会』。その真骨頂ともいうべき、「あんまり知らない国のあんまり知らない作家」に触手を伸ばしました。『本読み会』初のスイス人作家による戯曲です。スイスといえば…ええと、アルプス?ロレックス?スイス銀行?チーズフォンデュ?いろんなナイフがセットになってるやつ?…いやいや、スイスには国民的作家デュレンマットがいる!!!

 フリードリッヒ・デュレンマット(1921-1990)は、スイスの首都ベルン郊外に生まれ、早くから文学や絵画に親しみながら育ちます。短編小説から文筆の世界に入り、推理小説作家として名を成したあと、『老貴婦人の訪問』や『物理学者たち』といった戯曲によって劇作家としても認知されるようになりました。短編から入って劇作家へ、というのはチェーホフに似てるかも。短編の凝縮された世界で揉まれた作家は、長編戯曲を書いても構成がキッチリと組まれているような気がします。ともかく、スイスの劇作家といえばデュレンマットとマックス・フリッシュをおさえておけば、1月のセンター試験対策はばっちりです。

 『物理学者たち』は、奇妙な登場人物による奇妙な事件が奇妙な場所で起こる、実に奇妙な戯曲です。この「奇妙な=グロテスクな」筆致こそがデュレンマットの持ち味でした。冒頭からして薄気味悪い幕開けです。私立サナトリウム「桜の園」で、精神病棟に入った患者によって看護婦が絞殺された…。犯人は自分をアインシュタインだと思い込んでいる男で、今はのどかにヴァイオリンを奏でている…。この「桜の園」にいる他の登場人物は、自分をニュートンだと思い込んでいる男、そして「ソロモン王が自分のところに現れた」と言って引かないメービウスと名乗る男…。彼らは全員物理学者。しかも核物理学者。院長は放射性物質が彼らの脳を変質させた結果、常軌を逸した行動を起こさせたのではないかと疑っているところへ、次なる殺人事件が起こる…。

 さすが推理小説家。サスペンスの雰囲気漂う戯曲なのですが、『物理学者たち』は後半(2幕)からガラッと色合いの変わる戯曲です。アインシュタインとニュートンは、とある諜報機関のエージェントであることが明かされ、メービウスを自国に連れ去り、彼が発明した核物理学の新発見を利用して覇権を握ろうという魂胆でした。ここからはメービウスと諜報員二人による科学技術と倫理をめぐる対話が戯曲の中軸を成します。狂人のフリをしていたはずの三人が、本来の目的を果たすためにフリを捨てて正気に戻る。ところが、フリを捨てた先にあるのはタガの外れた人間のおぞましい欲望でした。こうなると、何が正常で何が狂気なのかわからない。一見狂っている者が倫理観に溢れ、その狂人に群がる正常な者が世界を破滅へと導いてしまうのです。

 そんな中、メービウスは終始一貫して物理学者としての倫理を崩しませんでした。頭の中に浮かんだ大発見は必ずや他者の手に渡り、破壊的な活動に乱用されてしまうことを彼は自覚していました。であれば、自らをサナトリウムに閉じ込めて思考そのものを幽閉すべきである。メービウスはデュレンマットの代弁者なのです。そしてアインシュタインとニュートンは間違いなくソ連とアメリカのメタファーでしょう。

 この戯曲が書かれたのは1961年。冷戦の幕開けとなる朝鮮戦争をようやく終え、翌1962年にはキューバ危機が起こり、人類は再び核の脅威に直面します。冷戦の真っただ中にいたスイスがどのように立ち振る舞うべきなのか、デュレンマットはこの戯曲を「メディア」として用い、この問題を世に問うべく『物理学者たち』を書きあげました。これはあまりにも「タイムリーな」戯曲だったのです。

 デュレンマットの作品は、日本で数多く上演されているとは決して言えません。しかし、福島の原発事故や朝鮮半島の緊張を受け、ドイツ語圏では再び注目を浴びる作品となっているそうです。考えることそのものが危険な行為になるのではないか、とメービウスは言いますが、デュレンマットはこの作品を通じてともかく思考を止めないことを観客に要求しています。それは、まるでブレヒトの影を見るような作家の姿勢でした。

 今回は参加者の中にスイスに大変詳しい方がいらっしゃいましたし、デュレンマットを卒論でやっている私の教え子にも多くの助けをもらいました。スイスっていまいちピンとこない国だったのですが、戯曲に登場する食べ物や場所の雰囲気を少し知るだけでイメージは大きく膨らみます。みなさまのおかげで、地味な作家を地道に味わうことができました。

次回は今年最後の『本読み会』です。忘年会気分でどうぞお越しください。(忘年会は本当にやります)
※詳細は以下のリンクからご確認ください。


追悼記念・第76回『本読み会/ニール・サイモン』と『忘本会!2018』のお知らせ

(松山)

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