菊池寛はスケールのでかい男。明治、大正、昭和を生きた文豪、起業家、そしてジャーナリストでありました。この人がいなければ文藝春秋もなければ芥川賞もない。現在に至る出版業や報道の礎を整えた人物でもあります。そして戯曲もたくさん書いています。が、今現在お世辞にもたくさん上演されている作家とはいいがたい。どちらかというと専門学校や大学の演劇科あたりの試演会で取り上げられている方が多い気がします。
というわけで、岩波文庫にも出ている『父帰る・藤十郎の恋 菊池寛戯曲集』を手元に、今回は幾編かの短編戯曲を読みながら菊池寛を楽しむことにしました。
まずは『父帰る』から。菊池寛の戯曲で最も認知されている代表作です。母親と長男、次男、そして長女がつつましく暮らしているところへ、20年も姿をくらましていた父親が帰ってくる話。当惑する家族。父を受け入れるか、拒絶するか、家族同士で想いは食い違い、最終的に父は再び姿をくらましてしまいます。文庫本で15ページほどの短編で、大変シンプルな筋書き。しかし、緻密な計算が行き届いた戯曲です。母、長男、次男、長女の年齢が絶妙に離れていて、そのことが父親に対する記憶や印象の違いを浮き上がらせています。戯曲は「何が起こるか」ではなく、「何か起こりそうな設定」の方が舞台上でモノをいうことを証明するような、完成度の高い短編戯曲でした。
次に『藤十郎の恋』。もともと1919年に新聞の連載小説として書かれた小説ですが、翌年戯曲化され、初世中村鴈治郎主演で当り狂言となりました。上方歌舞伎の名優、坂田藤十郎の役者根性を描いた作品です。人妻に恋する男(密夫)を演じるために、藤十郎は自分のファンであったお梶に言い寄り、自らの芸の肥やしに。しかし、もてあそばれたお梶はショックのあまり、藤十郎の幕が開く直前で自害を遂げるという楽屋ばなし。芸道とはこれほどまでに冷酷で常軌を逸したものであるかと圧倒される一方で、「ほんとしょうがない人だなあ」と、どこかユーモラスな魅力も兼ね備えた戯曲です。歌舞伎調の台詞というのは、読んでいるうちにだんだん陶酔していくというか、一種のトランス状態を引き起こす不思議なリズムです。これは声に出して初めて感じられる魅力かもしれません。
そして『屋上の狂人』。私はこれが一番好きでした。何かというと高いところへ上ってしまう「狂人」義太郎と、その家族の一幕劇。今日も今日とて屋根上に上っている義太郎に、早く降りて来いと下から声を掛ける父親。そこへ隣人が現れ、よく効く巫女さんがいるから一度ご祈祷してもらってはどうかと持ち掛けます。ダメでもともと、頼んだ巫女はどう見てもインチキなのですが、この巫女を追っ払う弟末次郎の台詞は、狂人と常人、異常と正常、そして幸福と不幸とはいったい何なのかという根源的な問いを突き付け、観る者に揺さぶりを仕掛けてきます。狂人と巫女をめぐるドタバタコメディだと油断していたところへスッと哲学的なテーマが立ち現れる上質な喜劇でした。上演するときは、たとえば不条理劇のように演じることもできるし、具体的な障害を持った人物という設定で写実的に掘り下げていくこともできるはずですし、読む者に様々な上演を想起させる戯曲でした。
そしておまけに四本目。国定忠治の物語から生まれた『入れ札』。上州から信州へと逃れる忠治一派の中から、誰が親分の忠治に着いていくかを入れ札(投票)で決めようという話。忠治本人というより、子分たちの駆け引き、人間模様を描いた国定忠治スピンオフ作品です。誰もが知っている国定忠治の物語を頭に浮かべながら、類型的な人物たちが期待通りの行動をする様を見守りながら楽しむ戯曲と言えるでしょう。
実に多様な四本でしたが、菊池寛が描いているのは典型的で普遍的な人間関係だったように思います。親と子、兄と弟、狂人と常人、そして役者と役・・・。これら戯曲が書かれたのは1900年代初期ですから、ほぼ100年前。しかし現代に生きる私たちは大きく頷きながら菊池戯曲を味わうことができるのです。設定や言葉遣いこそ今とは異なるものの、私たちの身体の中にたしかに組み込まれた「日本人のプログラム」とでもいうべきものがあって、菊池はそのプログラムが作動するように戯曲を書き進めているかのようです。
また、黙読した時と音読したときの印象が大きく異なる作家です。『父帰る』なんて、黙読したときには父親はなんて無神経なダメ男だと思っていたのですが、『本読み会』で読んでみると、拒絶する息子の方が冷血漢なんじゃないか、親父なんだからもう少し情をかけてやれよ、とすら感じられました。もちろん、感じ方には個人差がある。しかし、つまるところ、これは読み手、演じ手の人格が役に大きく現れる戯曲だということです。観客が何を求めているかを肌で知り、緻密に組み立てた構成の中で劇のクライマックスへと観客を引き連れていく。このあたりが、彼が一級のエンターテイナーだった所以なのかもしれません。
早いもので、今年の『本読み会』もぼちぼち年末が見えてきました。残すところレギュラーの回が1回、それから毎年恒例の『忘本会』企画が控えております。みなさま、今年も最後まで『本読み会』を御贔屓に!
(松山)