もう、うっだるような暑さ。
1秒でも陽射しを浴びたくないからと、JR新宿駅から一歩も外へ出ずにずーっと地下道を歩いていくと、頭上では歌舞伎町を越え、ゴールデン街を越え、花園神社を越えて、新宿三丁目までたどり着きます。目指すは昭和54年に開館した新宿文化の中心地、「新宿文化センター」。
『本読み会』、新宿初上陸です。
ご好評いただいている(気がする)「読んで楽しい現代戯曲・後編」。
前回のハイナー・ミュラーに続き、またしても妙な姿の戯曲を選んでしまいました。参加者の中には「この戯曲、どうやって進めるのか心配で見にきました。」と案ずる御仁もちらほら。
今回読むのは『東京ノート』。第39回岸田國士戯曲賞を受賞した、平田オリザの代表作です。
既存の世代とは一線を画すスタイルで演劇界に躍り出た平田オリザを見ていたのは、私が大学で演劇を本格的に学び始めた頃。「静かな演劇」「同時多発会話」「記号を持つ戯曲」・・・平田オリザの演劇を形容する様々な言葉が飛び交う中、
「いや、これからはこういうのがいいんだよ。わかんないかなあ。」
と、何の根拠もなく吹聴していたのを赤面しながら思い出します。
上下二段組みに分かれた戯曲。至るところに配置された★☆●○/のマーク。いつも通り声に出して読み始めると、「ちょっと待ってください、これって同時に喋っていいんですか?」「すいません、台詞見逃してました」「じゃあ、一回止めて、ちょっと戻してから」「せーの」といった具合に、途中で何度もつまづくのです。難解な戯曲も多々読み込んできた『本読み会』ですが、こんな風に混乱して読み進められないということはありませんでした。完全に平田オリザに翻弄されています。
しかし、なんとか混乱を紐解くように丁寧に読んでいくと、気づくのです。この奇妙な戯曲は、作家が求める表現にどうしても必要な形式であるということに。
この戯曲には明確な主人公もいなければ、どうでもいい端役もおらず、重要な台詞かと思えば、すぐさま他の対話によって相対化されてしまいます。演劇の登場人物といえば、自分の中から意志が湧き起こり、その意志に突き動かされて行動を起こすものですが、この戯曲の人物たちは、環境や状況にいつの間にか触発されて語り出し、つかのま立ち上がったドラマは形を整える前に流れ、また別の絵の一部となります。舞台の上に固定された中心はなく、いくつかの周辺が時間の中を流動的に漂っている様を私たちは観るのです。
こうなってくると、やはり単線的な台詞運びでは描けない。平田オリザは自分の絵を描くために、絵筆と絵具、そしてキャンバスの形を変え、新しい技法を発明したのです。
この技法をなんと呼ぼうか?これはまぎれもない「現代戯曲」。いや、そのうち、現代の古典戯曲なんて呼ばれる作品なのかもしれません。
(松山)