2017年最初の『本読み会』レポートです。
共同主催の松山がイギリス滞在中なので、今回の『本読み会』は、私・大野が一人で取り仕切ることとなりました。なんだか普段と勝手が違って戸惑いましたが、まあなんとか無事に終わりました。ご参加下さった皆様、私のお勉強にお付き合いいただき、どうもありがとうございました。
実際のところ、「もう松山いなくてもいいんじゃね?」とも思いましたが笑、『本読み会』開催後に、こうしてレポートを書かなければいけないんですよねー。普段はレポート記事は松山、作家イラストを私が担当しているので、「やっぱ人手はあった方がいいな」と思い直した次第です。
・・・今思いついたのですが、イラストを松山に担当させる案もありましたね!次回も松山抜きで開催することになりそうなので、次は松山画伯にイラストを描いてもらおうと思います。皆様お楽しみに。。
さて、話が逸れましたが、今回はチェーホフ四大戯曲の一つ、『ワーニャ伯父さん』を読みました。今回作品を選んだ時は、チェーホフ作品の中ではちょっと印象の薄い作品だな、と思っていたのですが、こうして実際声に出して読んでみると、やはりいろいろ味わえました。
他人の話を聞かず、すれ違ってばかりの会話。
思いの強さから、空回りしてしまう不器用な人たち。
やっぱチェーホフだ!と感じる展開が続きます。
参加者の方々もおっしゃっていましたが、戯曲を黙読している時は気づかなかった面白さに気づくことも多かったですね。声になってセリフが届いてくると、思いがけない登場人物の意地悪や優しさに気づいたり、チャーホフの皮肉な視線を感じたりするから不思議です。この辺り、戯曲ならではの面白さだな、と感じました。
今回私が気にしながら読んでいたのは、「チェーホフは暖かく優しい作家か、それとも冷たく非情な作家か」という疑問です。
チェーホフの作品に登場する人々は、その多くが空虚な日常に不満を感じ、苦しい生活に打ちひしがれていて、何とか安らぎを得ようと、生活を充たそうと、夢をみています。例えば、ワーニャは失われた青春を取り戻そうと、エレーナとの愛情あふれる「新しい生活」を夢見ますし、アーストロフは医師としての無力感から逃れるために、自らの手で森林を守るという幻想に浸ります。彼らはいつも、”今ここにはない生活”を追い求めて、次々と空虚な言葉を口にするのです。
しかし、チェーホフはかなりのリアリスト。そんなに人生うまくは運びません。
ワーニャもアーストロフも、ソーニャもエレーナもセレブリャコフも、皆欲しがったものは手に入らず、かといって人生が終わるような(それこそ”劇的な”)破局も訪れず、ただただ悩み多き、”今ある生活”を続けることを強いられます。チェーホフは、彼らの夢を幻想として描き、決して救いとしては描かないのです。
儚い幻想を追い求める人々をただただ見つめ、そして時には滑稽にすら描き、私たちに鏡を掲げるように突きつけてくるチェーホフ。彼の態度は確かに非情にも感じられます。しかし私は、それでもチェーホフの暖かい眼差しを感じるような気がするのです。
『ワーニャ伯父さん』の幕切れには、有名な、ソーニャの美しい長ゼリフがあります。
”ワーニャ伯父さん、生きていきましょう。長い長い日々を、長い夜を生き抜きましょう。運命が送ってよこす試練にじっと耐えるの。〜中略〜 かわいそうな、かわいそうなワーニャ伯父さん、泣いていらっしゃるのね・・・。おじさんは人生の喜びを味わうことはなかったのよね。でも、もう少しの辛抱、ワーニャ伯父さん、もう少しの辛抱よ・・・あたしたち、息がつけるんだわ・・・。あたしたち、息がつけるようになるわ!”
これは、慰撫の言葉です。実際には何の意味もない、空虚な言葉なのですが、ソーニャがワーニャを必死で慰めようと、身を絞るようにして語ったこの言葉には、美しい響きが宿ります。それを思う時、この作品の中で老婆マリーナが繰り返し語ってきた慰撫の言葉にも新しい意味が宿ります。
”あなたも、ソーニャさんも、ワーニャさんも、何もしないでぶらぶらしている人なんか誰もいやしません。みんな苦労なさってます!誰だってね・・・。”(四幕冒頭テレーギンとの会話)
”他人様はいざ知らず、神様はきっとねぎらってくださいますよ。”(一幕冒頭アーストロフトの会話)
彼らの世界の神様というのは、とりもなおさず、作家チェーホフであるというのが、私の考えです。チェーホフは、苦労して涙を流す人たちをねぎらい、背中をそっとさすってあげているのではないでしょうか。確かに、背中をさすったからって何の意味もないかもしれません。でもチェーホフは、そうした滑稽な行為にこそ美しさを見出していたのではないかと、私は思うのです。
(大野)
戯曲を声を出して読むのは、ほぼ初めてだったのですが、今日の本読み会では、とても興味深い体験ができました。
「ワーニャ伯父さん」を最初に読んだ時は、「救いのない話だなあ」と暗澹とした気持ちになったのですが、今日の会では、その救いのなさも含めてクスッと笑えたし、全体を通じて、人間に対する愛おしさみたいなものも感じました。
また、登場人物の主観的な視点と、舞台を観る時の客観的な視点とを行き来しながら味わえるのも、声を出して読むことの醍醐味だなあ、と感じました。幕間の大野さんの話も、深く作品を読むのに効果的でした(笑)。
楽しかったです!ありがとうございました。
ご参加ありがとうございました!楽しんでいただけたようで何よりです。
参加者にはそれぞれ自分なりの読み方、解釈があると思うので、主宰があまり喋りすぎてしまうと、それの妨げにならないだろうか、と危惧しているんですよね。
でも、戯曲の読みに慣れていない方もいるとも思うので、ちょっとお手伝いがあった方が良いという方もいるでしょうし。。
うまいバランスを探っていこうと思います笑。
また是非ご参加ください。お待ちしております!