蜷川さんからのハガキ 〜追悼・蜷川幸雄〜

『本読み会』

2004年から東京で活動を続ける戯曲の読書会。主宰は大野、松山の二人。 もともと戯曲の勉強をしようと思った大野が、一人ではサボってしまって続かないので、「周りを自分の勉強に巻き込んでやれ!」と松山に声をかけたのが発足のきっかけ。 「すぐに辞めたらカッコ悪いし、最低10年は続けよう」と約束して始めたところ、無事10年を突破。「もう10年続けてみますか」と、現在2クール目に入っている。

こちらの記事もどうぞ

6 レスポンス

  1. 平澤健一 より:

    優しい方だったんですね。そして照れやでもあられたのですね。大野さんが羨ましいです。私なぞ蜷川先生と全く関係ない身分ですが大変ショックです。もっと大野さんからお話伺いたいです。

    • 『本読み会』 より:

      そうですね。優しくて、照れ屋だったと思います。
      私は本当に短い間の関わりだったので、そんなにお話できることもないんですよ。また失敗談などは記事にするかもしれませんが笑。
      ネット上でも、すでにたくさんの方が追悼の言葉や思い出を語っていらっしゃって、蜷川さんのお人柄が伝わってきます。

  2. 若松明 より:

    楽しいお話ですね。蜷川さんと大学1年生の大野さんの姿がドラマの1場面のように想像できました。私も大学生の時に、新宿文化のかなり上の階で、1969年の晩夏、夜の10時ごろから(普通は映画館で夜だけ芝居が)上演された、現代人劇場時代の蜷川さんが演出した「真情あふるる軽薄さ」を観劇したことを、今でもまざまざと思い出します。新宿の街の外では当時、機動隊は日常の光景でした。それと同じ光景を芝居のラストで、蜷川さんは劇場の観客席に持ち込んでいました。後年の蜷川演出に比べれば、子供だまし程度だったでしょうが、新進気鋭の演出家の時代と真っ向から取り組む姿勢に大いに刺激を受けました。

    • 『本読み会』 より:

      『真情あふるる軽薄さ』の初演はもう文字通りの伝説です。本当に羨ましいです。
      60年代の演劇界のことを学んでいてよく思うのですが、人間の平熱が今より高いですよね。今はインターネットのおかげで情報は豊かだし、演劇人の横のつながりも強いですが、外に向かっていく熱があまり感じられません。僕だけかな?喫茶店でたまたま居合わせた客同士で演劇論を戦わせたなんて話を読んだりすると、やっぱり羨ましくなってしまいます。

  3. いなば より:

    そういえば稽古場で、蜷川さんと演出助手の尊晶さんが
    「あいつはどうした」「ああ、学生か」
    などと話していたのをいきなり思い出しました。
    おそらく大野さんの事を話していたのでしょうね。
    確か場所もさいたま芸術劇場の稽古場だったかと思います。
    ひょっとしたら、その現場を私見ていたかもしれません(笑

    森下のスタジオの稽古場の予約状況なども把握してたようです。
    あいつはどうしてるんだ?
    最近見ないけどバイトか?稽古か?
    さいたまやコクーンの稽古場に来ているメンバーに聞いてましたね。

    口は悪いけど、優しくてあたたかい方でした。
    エチュードやれよ、おまえら!
    今年はカンパニー公演やるぞ!なんて言ってる時はとても楽しそうでした。
    演劇を心から愛していた方でした。

    • 『本読み会』 より:

      あー、僕の可能性はありますね。現役学生少なかったですし。

      実はハガキの話には後日譚がありまして、クビを回避した数日後くらいに、蜷川さんから「お前学生だったのか。じゃあ来れねぇよな!笑」って謝られたんですよ笑。
      ただ、僕、学校も行ってなかったんで、全然学生とか関係なかったんですけど、まあそこは何も言わずにニコニコやり過ごしました笑。

      『本読み会』の活動なんて、完全に蜷川さんの影響ですよ。「戯曲の勉強しなきゃって思うけど、自分一人じゃ怠けちゃうから」って始めたのが『本読み会』なのでね。
      上演企画も、当時のエチュード作りの精神。戯曲選んで、とにかく演る!蜷川さんに、もう一度見ていただきたかったなぁ。。

平澤健一 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください