経隆 (ゆっくり顔をあげ、璃津子を注視する。—間。)どうして私が滅びることができる。夙うのむかしに滅んでいる私が。
——幕。
三島由紀夫『朱雀家の滅亡』は、この最後の一行に向かって積み上げられていく、精巧なガラス細工です。いや、砂細工の方かな。幕が降りると共に、風に吹かれてはらはらと姿を消していくような、美しくも儚い戯曲です。
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『本読み会』への道中、私は九段下で降りて、日本武道館を横に見ながら向かいますが、この日はケタ違いの人だかりが。千鳥ヶ淵を取り囲まんばかりの人が溢れているのは、24時間テレビの募金に訪れた人の群れでした。
日本武道館に背を向けて会場へ向かおうとすると、今度は靖国神社の大鳥居から、大村益次郎の銅像がこっちを見ています。その銅像の向こうに靖国本殿。そして、本殿のその先には、かつての自衛隊市ヶ谷駐屯地、今の防衛省。そこは、1970年に三島由紀夫がクーデターを起こしたのち、割腹自殺を遂げた地です。
『朱雀家の滅亡』の舞台は「終戦をはさむ一、二年の春・秋・夏・冬」とあります。つまり1944〜1945年。しかし、三島由紀夫がこの戯曲を書いたのは1967年のことでした。終戦から20年の時を経た日本は、姿も思想も大きく様変わりしていました。東西冷戦、東京オリンピック、ビートルズ、学生運動・・・。
三島は登場人物を通してときに天皇を想い、ときに死者を鎮魂し、ときに現在そして未来を見通す台詞を連ねます。読み手は論理に陶酔し、言葉に耽美しながらも、朱雀家が時代に取り残されていく悲劇を追い、その道の先に2015年があることに直面せざるを得ません。戯曲中で描く時代と、それを書く時代、そして、その戯曲を読む時代。この三つの時代が同時に流れ、交わる地点に現代性が浮き上がるのでしょうか。
余談ですが、私が務める大学は山中湖のほとりに合宿所を持っています。毎年4月に1年生を連れて新歓合宿に行くのですが、道中で毎年バスを止めて寄るのが、三島由紀夫文学館。さほど大きな施設ではありませんが、三島の生涯が映像で1時間ほど見られるほか、10代の頃の直筆原稿や、仕事部屋を再現した部屋など、なかなかに見ごたえのある文学館です。学生さえいなければもっとゆっくり見られるのに・・・と思いつつ、毎年消化不良のまま、いそいそとバスに乗り込んでいます。 今年は紅葉が深くなるころ、個人的に行ってみようかしらん。
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(松山)