『建築家とアッシリアの皇帝』閉幕 その壱

松山です。

おかげさまで、本読み会特別上演企画『建築家とアッシリアの皇帝』は無事に幕を降ろすことができました。お越し下さったお客様はじめ、この公演に力を貸して下さったすべての方々へお礼を申し上げます。



演劇、PLAY、遊び

この三つの言葉がどうしてつながりをもっているのか。イヤ、つながりを越えて、この三つの言葉はそもそも同じ言葉なんじゃないのかと、今回の公演ほど痛感したことはありません。僕はもうかれこれ15年くらい演劇を続けていますが、こういう作り方をしたのはまったく初めての経験でした。振り返ってみると、『建築家とアッシリアの皇帝』は制作期間にして足掛け2年。構想も入れると2年半くらいの年月をかけてこしらえた超大作でした。

 

お前らはヒマなのか?

 

こういうのが自然な感想でしょう。僕も大野君も普段からヒマをもてあまして奥さんに叱られているわけではありません。ヒマをもてあましているわけではないのに奥さんに叱られているのです。

ま、ともあれ、人間はヒマだと遊びだす。これがすべてのはじまりでしょうか。『建築家とアッシリアの皇帝』は、ふたりの男が遊びに遊びをくり返す劇です。それがヒマだからなのかどうなのかは誰にも分かりませんが、互いに遊びを繰り出すことによって、なんとかつながりを保っている二人の話。ところが戯曲から分かるのはそのくらいで、あとは無理矢理トロッコに乗せられたように、二人の俳優が3時間に渡って熱病に侵されている様子をお楽しみいただくような、タチの悪い芝居でした。

合言葉は「遊んで行こうぜ!」でしたが、稽古中はもちろん、本番にいたるまで、どうやって劇を進めていったらいいのか皆目見当がつかない。さすがに上演したら分かるだろうとタカをくくっていたのですが、こうして終演を迎えても、何の劇を演じたのか、どこらへんが面白かったのかさっぱり分からない。戯曲選びに間違いはなかったという確信は揺らがないのですが、さてその戯曲のどこに惹かれたかと問われると、どうにもつかみどころがない。最初から最後まで、アラバールおじさんに翻弄され続けた2年間でした。

机に座って台詞を読んでも読んでも前に進んでいる気がしないので、かなり早い段階で活字と向き合って戯曲解釈にいそしむことに見切りをつけ、机を片付けて椅子をどかして、動きの中で二人の関係を探っていくやり方へとシフトしました。今振り返ってみると、ここがひとつのターニングポイントだった気がします。戯曲に出会って、まず身体からアプローチをかけて、最終的に戯曲へと戻ってくる。円を描いて同じ所へ戻ってくるような稽古を進めてきました。

遊びとは、本来そういうものなのかもしれません。

出発からできるだけ遠くへ、宇宙の果てまで飛んで行って、最後は元の空地へ帰ってくる。ご覧になった方は思い当たるはずですが、この戯曲の構造そのものなのです。

ところが、芝居は終わったものの、僕はどうしても元の場所へ帰って来られた気がしません。まだアラバールの仕掛けた円のどこかに迷い込んだような、あるいはもともとメビウスの輪だったのか、しばらくは長い長い迷路に迷い込んだままでいそうです。

そのうち何か謎が解けたら、またお知らせしましょう。

みなさんも何か謎が解けたら、『本読み会』までお知らせください。

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